CureTochan

マッチスティック・メンのCureTochanのレビュー・感想・評価

マッチスティック・メン(2003年製作の映画)
3.7
子供は、子供が登場する映画に関心を示す。本作は私も観たことなかったのでキッズと鑑賞し、オチのところまでは非常に盛り上がった。登場人物が魅力的だし、芝居も最高レベル。このオチだって、やりたいことはよく理解できるのだが、理解できることと面白いことは違う。本当に面白かったら、我が家のリビングはもっと盛り上がったことだろう。

パパたる私としては、20年前の映画としては上出来だと説明しておいた。ニコラス・ケイジの父ちゃん役が素晴らしく、大いに共感できた。あとは落ちの処理である。本格ミステリーに対して三島由紀夫が述べた批評を思い出したが、そこまでの話ではなく、ただアガサ・クリスティであればこんなことにはならなかった。クリスティの偉大さはビックリさせながら、人間の本質に迫り、ちゃんと面白いこと。ミステリというジャンルを確立した女はただものではないんである。

なにが問題か、端的にいえば、気持ち良い裏切られ方じゃなかったということに尽きるだろう。あれだけ役者たちが頑張って、まったく泣けるシーンになってないのはもったいなすぎる。客を騙すことが目的化すると、こうなりがちである。たとえば臨場感を出すことが目的化して長回しのワンショットをしたりしても、うまくやらないとドラマは損なわれるのと似てる。ラストのいくつかのシーンも、いいところまで行ってるんだけど、あと一押しというところ。どういうオチにしたら気持ちが良くなったか、も考えてみたい。

以下ネタバレ






まず第一に、どんでん返しが主人公によるものでないこと。これはミステリ小説でいえば、オチで犯人が急に出てくるみたいなものだ。こっちは騙されたという感覚を超えて、ルール違反だと感じる。またすべての人間関係がチャラになってしまうため、共感を持って見てきたキャラクターたちを我々は失うことになる。あの精神科医なんて、めっちゃ名医だったし、フランクも魅力的な相棒だったのに。そして何より、主人公の主体性が損なわれ、ホラー映画みたいな、やられるサイドの話になってしまった。ただそれも、以下の点がうまくいっていれば解消できた。

次に、騙されたことによって人生が良くなるという流れの処理がまずい。というか、騙されたことと、結果の因果関係が曖昧だ。彼は詐欺師をやめたことによってハッピーになったが、別に騙されなくてもやめる気になっていた。たしかに、きっかけである娘の登場からして詐欺の一部なんだけど、どっちにしても詐欺をやめる気はさらさらなかった、という状態のほうが、最後がドラマチックだったはずである。結果オーライ、人間万事塞翁が馬感があっただろう。

そして「ニセの家族」がそうでなくなるというモチーフの処理。ドラマの「コンフィデンスマン」の某エピソードのように、もっとキレイに見せてほしい。最終的に、アンジェラは「I'll see ya, Dad = またね、父さん」と言って帰っていく。彼にはいわば娘ができた。そして家に帰ると、レジ係の女と結婚しているのだが、その彼女も妊娠しているというのは必要なかった。アンジェラの存在意義が薄れてしまうからだ。ただラブラブなだけで、子供だって生まれるだろうと想像できる。ここらの演出が微妙だから、あの女は元の嫁さんだなどと誤解してレビューを書いてる人がいる。

この映画に泣けるポイントが作れたとすれば、ラストシーンに至るまでのどこかに、本当の娘でなくてもアンジェラに会いたいと思っている主人公の心情が描かれるべきで、さらにいえばアンジェラの心情も描かれていればよかった。もっと欲張りをするなら、途中でアンジェラがフランクを裏切って何かして、それで分け前を貰えなかった的なプロットがあればよかったとか、どうだろうか。
CureTochan

CureTochan