ーcoyolyー

SHAME シェイムのーcoyolyーのレビュー・感想・評価

SHAME シェイム(2011年製作の映画)
4.2
劇中で使用されたのはグールドゴルトベルク81年盤アリア、第15変奏、他グールドのバッハ平均律グラヴィーア曲集より48の前奏曲とフーガ第1巻第10番ホ短調(BWV855)、第2巻第16番ト短調(BWV885)。あとマイフェイバリットシングスの演奏はジョン・コルトレーン、ニューヨークニューヨークはキャリー・マリガン本人の歌唱。

この映画初見の時にグールドゴルトベルクの使い方が印象的で、これからゴルトベルクが映画で使われたら記録してこうと決意した作品なので、ネトフリ配信終了前に確認がてらまた観てみました。

寒々しい荒涼としたNYの風景、徹底的に俗で徹底的に人間に無関心な素気なさが落ち着く。そしてまたグールドも神との対話以外には徹底的に無関心だ、徹底的に聖でありながら。だから落ち着く。両方が揃って初めて我々は救われる。どこでも落ち着けず居所なくその狭間でもがく我々への救いなのだ。

私たちはこういう所でグールドを聴き続ける他生き延びる術がない。

彼はあれだけセックスしているのに相手に人間性を感じると基本的にそれができなくなってしまう。相手がただの欲の捌け口で、自分も相手の欲の捌け口、物扱いされないと何もできなくなるのだ。デートして人間性を知ってしまうと勃たないのだ。本質的に自分を恥じているから(だからタイトルがSHAMEなんだと今気づいた)、こんな恥まみれの自分と交われる人間なんていないと思ってる。だからその情報が未知の存在としか交われない。彼のセックスは自傷行為だからだ。妹はリスカで兄はセックスで自傷する。そうしないと生きていると確認できず生きて行けないのだ。
ただ一人、彼がセックスできるだろう「人間」は彼のそれが自傷行為だとわかっている共犯者だから成し遂げることができるのだろう、彼女も彼を共犯者として巻き込むから、そしてそれは長年続いた共依存状態なのだろうから抜け出るのはとても難しい。ただ悪い環境で育っただけなのは実際そうなのだろうし、それは運が悪かっただけだし、でもその運の悪さで長年苦しむ羽目になる。

彼のセックスはアル中が酒を飲むのやジャンキーがクスリをキメるのと一緒なので、そこに愛などあるわけない。ただ貪らないと耐えられないから飛びついてるだけ。アル中が酒を飲むのやジャンキーがクスリキメてる様子を見て痛々しく感じるのと同じものしか見るものには与えない。

何かが欠落した人間として何かが欠落したまま生き続けるのはとても難しい。でもそうやって生き続けることを強いられる。無闇矢鱈と詮索されない都市は私たちにとても優しい。

でも、私は初めてこれを見た6年前と違ってその都市から一歩踏み出た。その優しさには未来がなかったから。そこに甘えているとそのうち潰れる、それを甘んじて受け入れるのはやめたくなったから。自分を物扱いして生き延びるのをやめる気になったから。

私は人間性を回復させるために徹底的に俗な都市から少しだけ離れた海のそばに転居した。少しずつでもそれが手に入り身につけつつある感触はあって、しばらくここでリハビリに励むのは悪くないなと思ってる。

彼や彼女にもそんな転機が訪れますように。

スティーヴ・マックイーン監督、「それでも夜は明ける」とフィルムの質感違ってあっち観た時に驚いた。私は個人的にはこっちの冴え冴えとしたスタイリッシュでストイックでシャープな引き締まり方が好きなんだけど、撮影監督違うのかな?あれだけ空気感や質感が一人の同じ監督なのに変えられるということにとにかく驚いた。って撮影監督も同じショーン・ボビット氏なのかよ…すげえなこのチーム…

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2014年1月26日初見時の感想も再録(FBで実況してた模様)

今CSでSHAMEが始まったので観ているのですが、グールドのゴルトベルク81年盤を使った映画まとめがないなら作りたい。
思いつくだけでハンニバル(観てない)、そして父になる(予告だけ。CS放送待ち)、SHAMEなんだけど他にもありそうだ。
SHAMEの雰囲気で流れるゴルトベルクはかなりいいな。エロ動画サイト見てiPhoneが鳴って、でもアリアが流れてるっていうので泣ける程度には。極端な話、iPhoneつうかiTunesにゴルトベルク81年盤さえ入ってればいい。入ってないと電車乗った時に生きてけない精神安定剤。iPhoneの充電とイヤホンもないと無理。

聖と俗の対比で聖を象徴するライトモチーフがグールドのようだ。その聖を踏み付けて俗にまみれに行くにはグールドの聖性が強靭なので徹底的に俗なカネを扱うカネまみれの都市じゃないと拮抗しない。
あと最後まで観ないと言っちゃいけないかなと思ってたけど、もうこの時点で言っていいな。これ岡崎京子の「愛の生活」だよね。監督は読んでないと思うけど普遍的なテーマなんだね。

ああ多分金融都市じゃないと成立しないんだ。香港やシンガポールでもアリだな。

これ舞台がNYじゃなくてロンドンでも東京でも成立しそうだけど、パリじゃ成立しなそうなのはなんでだ?

現代における孤独の表現としての、その中での救い・希望としてのアリア。昨日のNoism観ても思ってるんだけど、現代における孤独の表現、相当洗練させないと見られたもんじゃない

そして父になるでの使い方は、ちょっと甘すぎたように思うけどきちんと見たら感想変わるかな。(2020年の私註:使い方めっちゃ甘いというわけでもないんだけど「SHAME」のようにグールドの真髄を理解した使い方ではなかった)
ーcoyolyー

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