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お家に帰りたい
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『お家に帰りたい』に投稿された感想・評価

菩薩

菩薩の感想・評価

4.4
世間は何やらゴールデンだウィークだ10だ連休だと世迷言を前にふわりふわりと浮ついている様だが、当然俺の目の前にはただのノーマルなデイズが続いているだけであり、明日だって6時半に起きて仕事に行かにゃならんから、俺だってさっさとお家に帰りたい。でも今日観たこの映画は銀河系で一番面白いと思うし、きっとこれが俺らがみたいあゔぇんじゃーずだと思うから、俺は今非常に満足している。アラン・レネが描く異文化コミュニケーションのススメ、及び父と娘の和解に見るアメリカとフランスの文化的融和、終盤主人公のおっさんがポロリと「何がなんだか分からない!」と漏らすが、はっきり言ってそれはこっちの台詞である。今でこそ確固たる芸術として市民権を得た「漫画」文化に対するレネの感謝の正拳突き、そんな姿勢に当時の観客はネテロが置き去りにした音以上に置き去りにされたであろうが、低俗か高尚か、文化の世紀末覇者はアメリカかフランスかとか別にいーじゃん仲良くやろうぜの思想には素直に感動した。映画を愛する者は美術を愛し、漫画を愛し、音楽を愛し、文学を愛し…と、芸術は芸術としてひと繋ぎの至宝として社会に浸透している。要するにラブである、これまでの全てにラブである。どこまでもコミュニケーション不全であるが、当然ハネケなんかとは正反対の描き方、初期のシリアス・レネからすると「ちょっと病院行こうか?」レベルでどうかしちゃっているが、このわちゃわちゃとしたコント感は非常に良い、流石に満点を付けるほどでは無いが銀河系で一番面白い、なんせこの作品にはポパイもバットマンもスパイダーマンも出てくるからな…。
Cem

Cemの感想・評価

5.0
フランス語も喋れないアメリカ人がフランスにやってきた!!
『お家に帰りたい🥺』→『まだお家に帰りたくない🥺』の心変わりにほっこり
ドパルデューが早口で英語ペラペラ喋るのが楽しいし、フランスコメディ好きだから面白かった🥳✨留学したフランスかぶれの娘に2年ぶりに会うも冷たくあしらわれて哀しい😭国際コミック・アート展も、パリの街並みも、フランスの田舎町も、アニメの仮装パーティも素敵.:*♬ドパルデューのポパイのコスプレ可愛いよ!
CHEBUNBUN

CHEBUNBUNの感想・評価

4.5
【Stan Lee will return in Shin-Bungeiza】
実はこの映画は、マーベル映画ファンは、特にスタン・リーのファン必見の作品です。意外かもしれないのだが、難解映画の巨匠アラン・レネとマーベルの創造神スタン・リーは親友同士でありました。そして、アラン・レネはアメリカ滞在中にスタン・リーの家に滞在していたのです。そう、この映画はアラン・レネのアメリカ滞在を描いた半自伝的作品なのです。アラン・レネがアメリカに来て、スタン・リーに憧れと嫉妬を抱いたことに対する反省を、アメリカ人がフランスに来るという真逆の設定で語り直しているのです。そして、この映画はチクチクとオタクの心を突いてくる作品となっています。

ズバリ、この映画のテーマを言いましょう。それは「オタクのマウントだ」。主人公の漫画家ジョーイ・ウェルマンはフランスのコミコン(厳密にはエキスポ)に招待されて、はるばるパリにやってくるのだが、飛行機の中の時点で「お家に帰りたい」と言っている。彼にとって、フランスは敵なのだ。英語は話してくれないし、コミコンに行けばフランスかぶれの連中が「こんな展覧会は苦痛だね、アメリカの文化は死に絶えた」と言いだし、社会派、風刺漫画家のアル・キャップやロバート・クラム、アート・スピーゲルマンが相次いで今回のコミコン参加を辞退したことを棚に上げ、MARVEL等のコミックを通俗だと批判する。自分は、社会問題を風刺しているはずなのに、通俗な漫画家として呼ばれているのかと居心地が悪くなってくる。しかし、彼が、漫画批評から逃れることはできない。彼が歩けば、必ずマウント合戦に巻き込まれる。脳内も、ミッキーやスヌーピー、自分が生み出した猫のキャラクターが自己批判のように声をかけてくる。ディズニーは経営の本質でありそこに社会批判はないのか?突然、フランス人に漫画を描いて欲しいと頼まれた時、どういったタッチで絵を描いたらいいのか?専門外なのにポパイなんて描けるのか?といった質問や不安が怒涛のように押し寄せてくる。それをアドルフ・グリーン演じるジョーイが『おそ松くん』におけるイヤミのように、ニカッと歯を見せながら自分をできるだけ大きく見せようと振る舞い続け、どんどん疲弊していくのだ。シェーと自分の本当の腕前を見せればいいものの、それができない。その様子が100分コミカルに展開されていく。

これは恐らく、アラン・レネのコンプレックスが120%投影された作品なんだろう。ゴダールが『中国女』でしれっとキャプテン・アメリカを引用したり、アラン・ジェシュアがコミック的表現を露骨に作品にトレースした『コミック・ストリップ・ヒーロー』でカンヌ国際映画祭脚本賞をあっさり獲ってしまうようなことはできない。MARVELやDCが子ども騙しの通俗なものであり、フランスのカリカチュア(風刺漫画)を知っている自分には受け入れがたい。でもそれってただのマウントだよねと自己批判的にこの作品を撮ったと考えることができるのです。

結局、漫画は漫画に過ぎない訳で、漫画に高尚も通俗もない。評論家が「漫画には哲学がある」と書いた瞬間、その漫画はMARVELだろうがシャルリー・エブドの風刺画だろうがアートになる。一般人がゲラゲラと漫画を読むと、それは俗物になる。でも、結局は漫画は漫画に過ぎない。人々が他の領域を見下す為に勝手に境界を引いているに過ぎないのでは?とアラン・レネは軽妙な語り口で語ってみせるのです。

最近、映画のオフ会は息苦しさを感じてしまい、あまり行かなくなってしまったのもこういった境界線による無意識のマウント合戦に疲弊してしまったからだと気づかされました。と同時に、映画オタクとして、この映画の世界の人々のように、境界外にいる人々を叩くツールとして娯楽を使用しないようにしなくてはと思わせられました。アニメ大国、オタク大国日本に住む者に強烈に刺さる映画なので、是非興味持ちましたら、4/26(金)新文芸坐の上映に行ってみてください。多分、大寺さんもスタン・リーの話には触れると思います。ブンブンよりも詳しく語ってくれることでしょう。