ゲームの規則の作品情報・感想・評価

「ゲームの規則」に投稿された感想・評価

演出の連続性を正確に捉えるカメラの感覚、圧倒させられた。

ルノワールは演劇に殉じてる分、映画としての演劇の本質はやはりカメラにあると理解していた。
それはボブフォッシーが従来の舞台的演出を大きく逸脱したミュージカル映画を作り上げた事と似ている。

群集劇は情報量が多い分、大抵わかりやすい一本の柱を通して事象それぞれを関連づけるものだけど、ルノワールは上手すぎて、自然と複雑な図形の集まりの中に一本の線が見えてくるようだった。

湿っぽくない悲劇は演劇の歴史が作り上げた美徳だと思う。

見た後も余韻がしばらく残るような作品は久々。
hr

hrの感想・評価

3.4
いわゆるブルジョアな方逹が冒頭からあれこれとテンション高めにしゃべり倒す。
画面を目一杯使った奥行きのあるカメラワークと、たくさんの人があちこちに動き回る。

わかりやすい悪人は出てこないけど、一つ一つの会話から嘘やエゴを炙り出してく。

テーマ、話しとしては完全に好みの問題。ブルジョアだからとかじゃなく、感情の機微や人間臭さが物足りなかった。
物凄い。
まず、冬枯れの森を叩く貴族たちと高速で駆け抜ける兎たち・雉たち。喧騒と殺戮の荒野の狩猟シーン。また、パーティに集まる人々が雨を潜るショット。爆音の雨越しに屋敷での道程の労いが映る。貴族たちの破滅の前に、すでに破壊的音響が近づいている。
破滅?しかし、すべてを支配する思惑を持った「悪人」は一人も出てこない。すべての人々がそれぞれの思惑の渦の中に巻き込まれていく。これはドストエフスキーが「悪霊」で扱ったテーマだ。夫人に付いて行く使用人リゼットや、殴り合いの後に友情を交わす二組の男女など、出て来る人々はみな真摯で魅力的だ。
その中で最も真摯な公爵夫人と親友オクターブは、誰にも止められない事態の中で「みんな嘘をついている」と嘆き、中庭の舞台を歩き、最後の温室で自分たちの生を生きようと強く願う。それが叶わない二人の悲劇を前にして、雇われのマルソーとオクターブはまた会おうと別れを告げる。
この映画は人々の渦が幸福へと行き着いた「有頂天ホテル」の裏面であり、この映画の裏面は「シャイニング」である。
とや

とやの感想・評価

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人物が多くて関係が複雑だけど、屋敷の長い廊下で多くの人々がすれ違ったり会話をしたりするロングショットが好き。思惑や勘違いでどんどん滑稽な喜劇になっていくのが面白かったけど、最後の結末は意外だった。
ss

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3.7
めちゃくちゃ
衣装いいなと思っていたら(特にドレス)シャネルだったのか
死ぬまでに観たい映画1001本のひとつ。階級社会は感傷的な会話するんだなぁ。フランス語がまったく聞き取れなかったけど。
海外ではヨーロッパ映画史上、最も高名とされている本作もわが国では必ずしも人気はそう高くない。公開が限定されてて、1950年代迄は批評家の一部が税関?で観たくらいで、飯島正さんの誉め言葉しか思い浮かばない。日仏交換祭で寄贈されたプリントでFCで一般人でも60年代以降観れるようになるが、日本語字幕が入ったのは70年代以降か。自在・柔軟・複雑も透徹して完全な様式とバランスの持続、立体型と自然の世界を透かし動かし得るものの可視化・意識の外化、瞬間毎の澄みきった美の張りつめと突き刺し・その直感鋭くまた自然無理なく広い批評性、社会的存在としての人間の美徳と全てを呑み尽くす混乱と最深部の表出、行き当たりばったりの予測不能の即興性の呼吸、時代・社会の暗雲と日常の親密さにフィットし続けて流れる空気、総体として例えようのない生々しさと昇華されすべてと同化する真の美の共存、商業映画とアヴァンギャルドの境界すらそこにはない、それらがすがたを現したのだ、満を持してというよりたいして話題にもならずわりとあっさりと、が、私たちは熱狂した、これぞ、映画史上の最高傑作だと。しかし、90分のそれに対し、106分の近原版の優位を謳って一般の劇場で公開された1980年代流通版はとにかく画質が悪く、近パンフォーカス内の群像、縦横無尽のルール違反のカメラ移動の粋もたまったもんじゃない。これしか観ていなくて本作を低評価に留めている人もいる。90年代に入ってそれよりはジェネレーションがはっきり若いプリントが流通するようになった。
各シークェンスは、全て独立した美術品の如くに素晴らしく、特に残酷でもありラストの人間の死を予言する狩猟から、その夜の演し物の続くステージの表裏の連なりは、息をのむ、いや、呑み込まれてしまう、映画史上最も世界をうねらし揺さぶった驚異の宇宙が鋭く豊かに現出してくる部分である。息づき清新で如何様にも方向が変わりうる(逆襲もあり得る)自然への人間のゲームと本能を充たす侵食の、構図・細部・スピード・移動・視界のシャープで正確、怖く美しい、終るを知らないかのようなめまぐるしい勢い、そして不意に断ち切らるモンタージュの圧巻。そして、そこに自由に居合わせたかのようなフォローや舐めまわしや吸い付きの息の長い迫真かつワクワクさせるフレーム移動・パンの天才、人間たちの位置や追っかけを実際以上に捉えきった(縦・他の)構図、90゚・180゚をはじめ真の立体・動力を示すポジション推移を示し続けてく(スパンは長い)デクパージュ、カメラのショット内をベースとした組み立てのもたらす、ショウ表現ー恋の狂気ー誤った連帯が心の闇や異物排除にいたる雪ダルマ式的巨大化・中心喪失の、驚異。そこで、人間たちは、虚飾を剥ぎ取られ、純粋・単純に立ち返れば立ち返るほど、自分と向合い誠実になればなるほど、いま、格闘し排除・和解しつつ追い続け・また応えんとしてる最大の目的の恋の本当の相手が、自分は誰を求めているのかわからなくなってくる、混乱してくる。触れることのなかったタブー的自己の深奥と、人格・社会の有用な要素を持つ外形が、剥き出しになり、対峙があらわになると同時にいびつに浸食しあってゆく。作家・登場人物に一切の悪意はない。
急な母の葬儀から戻って着いた東京でたまたまこれをやっていた。何十回目かわからないが、そこに吸い込まれ、私は知らない間に再生していた。地方生まれで、永くルノワールは、愛読してた飯島正さんの連載『ヌーヴェル・ヴァーグの映画体系』で、史上最大の映画批評家A・バザンが最も崇めてる作家として、どんなものなのか期待が一方的に募ってくだけの存在だった(『大いなる幻影』だけは観れた筈だが、NV派の認めてない作品だったのでーしかし、後に初公開版→復元版→オリジナル版と観ると、史上稀なる~唯一かも?、リアリズムと様式美の溶け合ったこれ以上ない信じ難い完全・完璧な映画だったー『~幻影』『ゲーム~』共、最も複雑なカメラワークは、独仏将校らor貴族別荘使用人らの長めテーブルを囲んでの多数人の食事シーンでなされてるが、高さ・奥行を仕切った空間内の重力を探り並列化を詰めてく節度と無限の手応え・落ち着いた美学の前者に対し、後者は階段・奥スペースへまで動き可能として伸び続ける浮遊夢幻性を保持し続けている)。地方でもTVで戦後の作品が放映され(特にそれまでのベルイマン・フェリーニといった神的存在を一蹴したNHK教育『河』放映)、東京でFCで絶頂期の作品も観れるようになると、バザンのいうとおりな芸術=大衆作品表現の頂点であるとの認識・悦びであると共に、世界と向き合い生きてく上での母的大地・生地と並ぶわが土壌となっていった。
lag

lagの感想・評価

4.6
喧騒と静寂。軽快で流動的で。宴とお披露目会。自動演奏。皮肉とユーモア。廊下。うさぎ狩り。ブルジョワの嗜み。茶目っ気と気品にあふれたココシャネルの衣装と女性たち。にんげんだもの。
とり

とりの感想・評価

4.5
あれやこれやと動き回る人間模様は皮肉としても喜劇としても秀逸。ヌーヴェルヴァーグはじめ映画人大好き御用達ジャン・ルノワール大先生の代表作・傑作。DVD持っているし何度か見たことあるけど、どんどん面白くなる。何本か見たことあったのに付けていなかった昔の作品付けていたらこれも思い出した。終盤の展開美味しすぎる。
なすび

なすびの感想・評価

3.0
映画監督とかに人気のジャンルノワールの最高傑作(らしい)

なんか始まりから終わりまで引きずり回され振り回される系の映画、何人かの男女の恋愛模様が絡まり合いながら話が進んでいくエネルギーがすごい!見ててけっこう疲れる!おしゃべり好きなフランス人がモロに露呈してた、面白いけど正直お前ら全員小学生かよーーーーっっ!てつっこみたくなりました笑 もーうモラルとかそんなもんはないよ、この世界に笑 みんなもう欲望に流され流されよ…バカでヒマなお金持ちのただのゲームなんだよね…恋愛をバカにするなー!😡(とか怒る人いそうだよね今こんな映画したら笑)

んー映像美とかよく分かんなかったけどこれが1939年っていうのには素直にびっくり、やっぱ古い感じはあるけどアメリカの映画とはまた違う風にフランスの映画は成り立って行ってるんだなーって思った、会話してる2人のうち1人の顔を斜めから撮るのとか良かった。

衣装がココシャネルだそうで、白黒なのがもったいないーーー!

召使いの女の人高峰秀子に似てた

なんかラストはまさかの展開で、ほんとにゲームの中の世界みたいに死が軽かった
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