horahuki

スパズモのhorahukiのレビュー・感想・評価

スパズモ(1974年製作の映画)
4.2
「俺って本当に人を殺したの?」

逢引き中に襲ってきた知らない奴と揉みあいミスって銃殺。「ヤッベ!」と思って彼女と逃げ出したけど、ウッカリ忘れ物。取りに戻ると死体も凶器も消えていた…。「死んでない?それとも誰かの思惑?」と疑心暗鬼になっていく主人公は常に誰かに監視されているように思えてきて…なレンツィ製ジャーロ。

冒頭から謎につぐ謎の畳み掛けで主人公だけでなく観客までも撹乱させ続ける展開。主人公の周りで一体何が行われてるのか…?それとも全て主人公の錯覚なのか…?消えた死体だけでなく、逃避先の家をボートから監視する視線、誰もいないはずなのに感じる何者かの気配、なぜか自分の殺人が報道されず、その代わりに犯行現場近くで「ナイフで刺された女のマネキン」が発見されるというニアピンなニュースが聞こえてくる。

ジャーロの基本がフーダニットミステリであると考えると、なかなか殺人が起こらない上に犯人探しではなく「なぜこのような奇妙な状況に陥ったのか?」を解明しようとする本作はかなり異質。ただ精神分析とはまた違った角度で主人公の内面にメスを入れ、真実の「自分」を受け入れるまでの過程を精神治療“的”に描いていく本作はジャーロらしいジャーロだと感じた。

何が行われているのかわからない、そんな主人公を取り巻く「混乱」を描くことに映画の大部分を使っていて、その「混乱」の混乱具合がそのまま主人公のグチャグチャな内面を投影し、自分を取り巻く現状の謎解きをする過程が自分の心の本丸へと突き進んでいくことに転嫁する。それに「答え」を与えるクライマックスが彼に「自分」を突き付けさせることになる。

Blu-ray特典映像の監督インタビューによると、もともとフルチが監督を務めるはずだったところを別映画が決まったためレンツィが引き受けたらしい。脚本を受け取った段階で出来の悪さを感じたとレンツィ自身が認めていて、加筆部分に留まらず演出によって補ってあまりある魅力を生み出したのは流石としか言いようがないですね。

キスするカップルの背後の小窓に吊り下がった人の足を写し、その「死」側の目線で「生(性)」を捉えるカメラへと主導を切り替え、人間の運動を追うことで「生」と「死」を境界を意識させた上で跨がせる。しかもこの現状における神の視点とも言うべき「誰か」の観察が始終続いていたことを知らせるタバコ→立ち去りまでを描くことで、その「誰か」に異様なほどの内面的倒錯を重くのしかからせる。プロローグが鬼のようにうまい!

襲撃シーンにおいてもあえて扉を閉じる分断を直前に置くことでスリルを格段に上げる手堅さ、とあるキャラクターと猛禽類を同じ画面に写しながらのピント移動による同化演出は結末に向けた答えを提供し、極端なまでに多用する各キャラへのズームインがそれぞれ没個性キャラなのではなく内面に大きな思惑を抱えていることを画面全体へと存在感をもって投影させる示唆を提供し、それが部屋中に配置された猛禽類とも符号するというアイテムまで巻き込んだ非常にうまい演出。さらには井戸の底を深層心理に見立て、「血のついたハサミ」という狂気を見て見ぬふりをするかのように底へと沈める病的な内面的現況を印象的に伝えてくる。モンタージュの限界を超えてるのではないかと思うほどの大胆すぎる編集も面白いし、やっぱりレンツィ凄いなと。

あと作中でホームビデオを見るシーンがあるんだけど、ホームビデオなのに映画みたいなカメラワークと編集が施されてて笑った。同じ現場で二、三台カメラ置いて切り替えてないとこんな映像撮れないと思うんだけど…。金持ちはホームビデオにかける熱量もエゲツないね!🤣実際にBlu-rayインタビューで語ってるところによると金持ちが内面に抱える負を描き出す意図を本作に込めたみたい。ある意味このシーンもそれに繋がってるのかも😂
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