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怪竜大決戦のMOCOのレビュー・感想・評価

怪竜大決戦(1966年製作の映画)
3.0
「俺の名は自雷也(じらいや)、結城大乗(ゆうきだいじょう)その方、主人を裏切り近江の国を乗っ取り、天を恐れぬその諸行、この地雷也が打ち砕いて見せよう」


 家老結城大乗の謀叛で近江の城主と姫が惨殺され一部の家臣は幼い若君雷丸(いかずちまる)を連れて湖に舟を漕ぎだしたのですが、突然竜が現れお供を失った雷丸は大鷲に拐われるように命を助けられます。

 雷丸は飛騨の国の仙人、蟇道人(がまどうじん)に助けられ、がまヶ岳で忍術を教えられりっぱな青年(松方弘樹)になりました。
 ある日、がまヶ岳で顔も名前も判らないが昔がまヶ岳にいた父親を探す綱手(つなで=小川知子)と出会います。
 
 蟇道人は突然やって来た昔の弟子、大蛇丸(おろちまる)に襲われ虫の息のところに雷丸と綱手が訪ねて来ます。蟇道人から父母と大蛇丸の話を聞いた雷丸は蟇道人の墓を建てると、綱手と別れ仇討ちのため近江に旅発ちます。

 一人になった綱手の元に妖術を使い、蜘蛛婆(くもばあ)が現れ父親は近江にいる、ここぞというときには、これを使えと蜘蛛のかんざしを渡します。

 雷丸が百姓の善兵衛一家に紛れ関所を越えた事を知った城主結城大乗は早速関所に現れ善兵衛を切り捨て更に子供二人を手にかけようとしたとき、雷丸が現れ自雷也を名乗ります。

 近江に入った綱手は偶然百々兵衛(ももべえ)と知り合い百々兵衛が大蛇丸の部下と知らず一緒に行動するうちに雷丸に会います。
 百々兵衛は綱手が大蛇丸の娘と気がつき、大蛇丸に伝えます。大蛇丸は雷丸の毒殺を綱手に命じるのですが、百々兵衛も綱手も大蛇丸を裏切ります。

 城に乗り込んだ自雷也は結城大乗を殺害、父母の無念を晴らすと、自雷也の“がまの妖術”の大がま蛙と大蛇丸の“昇竜の術”の竜の闘いがはじまり、城は崩壊、水を吹き出す大がま蛙と火を吐く竜の闘いは圧倒的に竜が強く大がま蛙が危うくなったとき、綱手が投げた蜘蛛のかんざしが大蜘蛛を呼び蜘蛛の吐く糸に竜は敗れます。
 そして大蛇丸との一騎討ちに勝った自雷也は綱手と大鷲に乗って飛騨の国に帰って行きます。

 1966年松方 弘樹さん24才小川知子さん17才の作品です。松方 弘樹さんぴかぴかのつやつやの笑顔の演技は、命の恩人が殺された直後の現場に現れたときも高笑いです。
 小川知子さん可愛らしさというか美しさの片鱗を見せています。2年後の「夕べの秘密」でデビューした、大人の歌手のイメージが強いのですが19才にしては、ずいぶん大人っぽい歌を歌わされていたのですね、昔の歌手は歳相応の恋の歌なんて歌わせてもらえなかったんですね。
 間違っているかもしれないのですが、この頃のテレビ放送って子供向けと大人向けに二分されていて、十代後半から二十代前半向けのテレビドラマがなかったような気がします。「学生は学問せぇーよ」なんて時代だったのかもしれません。小川知子さんは現代だったら大人気間違なしの可愛らしさです。

『隠密剣士』(1962年から65年(後半分))
『仮面の忍者赤影』(1967年から68年)
『素浪人 花山大吉』(1969年から70年 *主人公は松方 弘樹さんのお父さん)
など子供の頃テレビで時代劇の実写を観ていた世代でも千葉真一の『黄金バット』と併映されたこの映画を映画館で観た人は少ないのではないでしょうか。
 ガメラ映画などと併映された、後の妖怪三部作
『妖怪百物語』(1968年)
『妖怪大戦争』(1968年)
『東海道お化け道』(1969年)と
『怪竜大決戦』のテレビ放映を新聞の番組欄で見つけた日は放送時間がくるのがとても楽しみでした。
 二重撮影のお粗末な技術や竜の口から出る炎や大がま蛙の口からの放水は中途半端で相手に届きすらしていない、大蛇丸の乗る雲は立体感が全くないなどはご愛敬の思い出の映画です。
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