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マイネーム・イズ・ハーンのmazdaのレビュー・感想・評価

マイネーム・イズ・ハーン(2010年製作の映画)
4.3
『My name is KHAN,I'm not a terrorist.』
911テロの後に起きたイスラム教差別。
インド映画は基本的にはずれがないのだがそんな中でも今作は初めて泣けたインド映画だった。

イスラム過激派のテロが頻繁に起きた頃、イギリスで"僕はイスラム教徒だ。僕はあなた達を信じる、あなた達は僕をハグできるほど信じれますか?"ってボードをかかげて目隠してフリーハグをしていた男性のニュースをこれを見て思い出した。
なんのイメージも持たないというと嘘になってしまう。印象というのは率直な感想だから結果的に誰かを傷つけるかもしれないがそこに悪気はない。素直に思ったことだ。
ただ自分の抱いた印象だけで相手を判断してはならない。自分の感じたことが120%で正しいと思いながら接してはいけない。イメージを正しいものとして扱うことほど幼稚で危険なことはない。

みんな自分がされたら絶対嫌なことを何故か人にはする。一緒のことなのに簡単なことが考えられない。
黒人差別には厳しいのに、コロナが流行った時中国人を差別した黒人がいた。
コロナで差別されることを嫌に思っていても、イスラム教は怖いと差別するアジア人だっているだろう。この映画でも、ムスリムが差別されることを苦しく思うのに、ヒンドゥー教とは結婚するなと言っていた兄。私のムスリムの友人にもヒンドゥー教は宗教で1番理解できないと言っていたくせに、過激派のイスラムと一緒にしないでほしいと言っていた人を知っている。
考え方の違いなのかとも思うが、正直頭弱いなと思う。それくらい嫌。差別を区別と言ってごまかす人も嫌。はたして考えの違いでかたづけていいことなのか。

生まれる国や肌の色を選べるわけではない。私はカレーが好き、ラーメンが好きというのと一緒で、なんの宗教を良いと思うか何に従うかはその人の決めることだ。どこの国にも男にも女にも、良い人と悪い人がいるし、さらに言えば悪い人も悪い人として生まれてきたわけではない。
それが世界共通認識であってほしいとずっと思ってる。いろんな考えがあることは受け入れるがどんな考えだろうと差別してもいい理由にはならない。

差別されたニュースを見て悲しみを越えて怒りに変わるきもちもわかる。されてなくても腹が立つ。でもリズワン・カーンが凄いのはその悲しみを憎しみに変えないことだ。
イスラム教の人間がたくさん悪さをしたかもしれないが、そうでない人もたくさんいるよ。それを知らない誰かに向けて伝えることがどれだけリスクがあり、勇気のいることか。
ましてリズワンはアスペルガー症で知らない土地も初めましての人も怖いはずなのに、それでも伝え続けるその原動力は実際に差別されたことによる強い悲しみだ。悲しみを攻撃に変える人は少なくても、悲しみのまま行動できない人はかなりたくさんいる。
黙ってても止まってても世界の認識は変わってくれない、わかっていても何もできない、やらない人の方が圧倒的に多い。この映画はそういう一歩を踏み出させる映画だ。悲しく辛いシーンもあるけどそれ以上にエネルギーがある、踊らないインド映画を初めて見たが、それでも何故かパワーに溢れその世界観にやはり圧倒される。

どこかの違う国で起きていることなんて絶対思わないでほしい。福島から引っ越してきて放射能で汚染されると差別された小中学生は1人や2人じゃなかったし、どんな国でも誰にでも起きるかもしれないこと。
映画館では日本未公開なのちょっとありえないなあ。もっと多くの人に見てもらうべき映画だろう。
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