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ソウルフル・ワールドのmazdaのレビュー・感想・評価

ソウルフル・ワールド(2020年製作の映画)
4.3
生きるのに目的なんて必要ない、そんなことわかっていてもふとした時に誰もが自分が生きていることについて考えてしまったことがある気がする。
自分より優れた人と比較したり、自分のダメなところに嫌気がさしたり、これから先の未来が見えなくて不安になったり、そこまで追い込まれすぎると楽しいことや好きなことさえもわからなくなってその感覚を見失う。どんな人間も迷子になる可能性がある。

誰かが自殺してしまう時、何でどうして、まだ若いのに、これからいろんなことができるのに、とどうしても思ってしまう。でもそれは迷子になってない側の人の目線であって相手とまったく同じ立ち位置でまったく同じ気持ちになって考えて出た言葉じゃない。
理解することはできなくてもそういう風に感じた事そのものを否定はしたくない。間違った考え方だとしても、ネガティブな感情や迷いさえもその人の価値観や個性に関係して生まれてるものだ。
どんなに多くの人が良いといっても無理なものは無理だし受け入れられないものは受け入れられない。どんなに理解してもらえなくても好きなものは好き。映画を見て面白かった!つまらなかったと言うことも個性のひとつで、それを合わせる必要はない。

伝えたいことは『レッドタートル』や谷川俊太郎の詩『生きる』に近かったけど、もっとキャッチーでわかりやすく届けるところはやっぱりピクサー。
毎日繰り返しのように生きていたり何かに追われたりするとどうしても忘れてしまうけど、食べて美味しいと感じたり、何かを見て美しいと感じたり、どうでもいいことが面白かったり、新しく何か発見したり、あったかいとか涼しいとかきもちいとか、そういう当然のこと全てが生きているということだ。そういう当然のことが実は最高の喜びなのを忘れたくない。

あまりにも多くの情報や物やいろんな人に溢れてるせいで自分が何も持っていない人、何者でもない人に感じてしまう。人生に刺激がないといけないとか、何か達成しなきゃいけないとか、もっと頑張って優れた人にならなきゃいけないとかたくさんのものの中で生きているとだんだんそういう感覚になってしまう。

諦めずに頑張ることはもちろんかっこいいことだが、それを全ての人に求める必要はない。私にはこれしかない、これが全て、そうなってしまうとそれを失った時に先に進めなくなる。魚が海を求める話みたいに、理想や夢をゴールにするとゴールした瞬間から止まってしまう。
好きなものや夢中になれるものがたくさんあることを素敵だとは思うけどもしまったくなかったとしてもそれで人生が無意味になるわけじゃない。その人がその人なりの喜びを見つけられればいい。誰かと関わるとか何かを感じるとかそれだけのことで全てが成立する。

そのことを見失わないようにどっしり一人でかまえて迷わないようにできる人なんてたぶんいなくて、迷いそうになってる誰かがいれば、この映画みたいに一緒に探したり考えたり、自分が迷ってしまう時はまた違う誰かに助けてもらえばいい。
迷ったり間違えることを恐れる必要はないしそういう事があることも込みで人生だと思う。

こんなに書いて理解してるつもりでも、私もこの先何回も迷ってつまづくし、その度に周りの誰かや、好きなものや、ソウルフルワールドみないな映画で何度もはっとするんだろう。この映画は心に響くというより、見ていて心が軽くなるような、優しく寄り添うような映画だった。この映画で救われる人は多いだろう。

個人的に最近のディズニー作品あんまりはまれてなかったのだけど、『インターステラー』っぽい未知が広がっている世界観に久しぶりにワクワクしたし、新しいスタイルに挑戦してる斬新な感じは嫌いじゃない。
キャラがとにかく可愛く視覚的に楽しい子供も大人も面白いピクサーもいいけど、『トイストーリー3』『ウォーリー』『インサイドヘッド』そして『ソウルフルワールド』みたいなアニメを通じて考えさせにくる大人向けピクサーの方が圧倒的に好き。
あと私はどちらかというと死んだ後どうなるかよりも生まれるまでどうだったのかが気になる人だから『ボスベイビー』とか、人格をつくる工程を見れるのが好き、そこら辺もう少し長くてもよかった。22番のその後が見れたらさらに評価はあがったかな。
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