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下女のRのレビュー・感想・評価

下女(1960年製作の映画)
4.4
タイトルのインパクトがいいなー。下女。この文字の並びと音感だけで、この映画のエグみがなんとなしに感じられる。一体どんないやーな気分にさせられるんやろ、と楽しみに見たら、まぁ登場人物のみなさん阿呆ほどメンヘラ🤣 だが、メンヘラの話に入る前に、モテる男はつらい、という話をしなくてはならない。モテる男はつらい、とは、モテる組に属する多くの男性がしばしば経験していることだと思うが、モテない男がその言い回しを聞くと、嫌味のように取ってしまう可能性がある。もし少しでも嫌味に感じるようならば、本作を見ると良い。モテる男の言い分がよくよく分かるであろう。彼らは、日常生活において常に女たちの標的になるため、どこに行っても女がいるところ安心することはできないのである。ましてや、自分のことを好く女が、近場に、二人、三人、百人と増えてくると、到底彼の手に負えるものではなくなる。男とは、女一人でもうまく扱えれば大したものだ。女とは斯様に難しい生き物であるとも言えるし、ただ単に男が阿呆だとも言える。本作の主人公トンシクはモテるうえ妻子持ち。ひとたび妻帯することを決意した男は、ほんの出来心でも、浮気してしまうことを自分に許してはならない。相手が積極的に誘惑してくる場合においてはなおさらだ。その女には破滅をも厭わぬ、ある種熱病的に自暴自棄の傾向があるに違いないからである。そのことを恐怖映画のように、喜劇のように描いたのが本作だ。トンシクが下女として使いはじめた色情狂の女ミョンジャは、妻不在の隙をついてまんまとトンシクをからめとり、その後、粘着質な追撃によって、トンシクを完全に奪い、我がものにしようとする。雨の降るかみなりの夜、ベランダからトンシクを恨めしそうに見つめるミョンジャ。その姿は恐ろしくもあり、悲しくもあり、おかしくもある。お菓子を食べ食べ見ていた私は、思わずぶーと噴き出してしまった。ミョンジャ演じるイ ウンシムの演技はあまりにも真に迫っており、そのじめじめした情念はあたかも画面から滲み出してくるかのようである。一見貞淑で健気な女に見えるトンシクの妻も、内側に奇妙な欲望を抱いており、自分の家庭が他との比較において物質的に勝さっているということに並ならぬ拘りを見せており、健康を犠牲にしてまで、ミシンでの長時間労働を自らに強い、およそ母に起こりうる最大の悲しみよりも、我が家庭を一般以上の枠に収めることの方を優先する。さらに本作には、もう三人、不気味な人物が出てくる。一人はトンシクに恋し、トンシクに恋文を渡す職場の女。第二がトンシクにピアノを習うようになる職場の女。三人目は、足の不自由なトンシクの娘。皆それぞれに不気味だが、娘の不気味さは群を抜いている。台所をこっそり覗き込むシーンの異様さは、恐ろしさを通り越して喜劇的演出と言える。とにかく出てくる女、出てくる女、メンヘラばかり。だが、そうであるのもどうしようもなかった面がうかがえる。本作は1960年の韓国映画。おそらくその時代の女性には、自分だけで生きていく自活の道はなく、男を頼りにする以外になかったのであろう。また、仮に完全独立の道があったとしても、社会的制約が彼女たちを男を縛りつけていたことも想像に難くない。女性に不自由を強要する社会において、男性だけが悩み無く自由を満喫するなど、できるはずがない。他者の犠牲の上に自分の幸福を築くのが不可能なことは、だれの目から見ても明らかだ。女たちは、本当は悠に男に勝る力があるのに、そのことをだれにも知らされず、男に縛りつけられなければならなかった。その悲喜劇性を、楳図かずおを髣髴させるおどろおどろしいホラー演出でじりじりと炙り出していく。そこにさらに、裕福でなければ幸せになれぬという誤認から生じるプレッシャーも描きつつ、人類最大の逆説的テーマ、モテる男はつらいよね、が描破され、最後はまさかのどんでん返し。本作全編が、実はモテる男へのお説教であると知ったときの衝撃!!! それを見て僕が学んだこと。①女の誘惑にまんまとのせられてはならない。②鼠殺しの毒を家に置いてはならない。この二つであります。男が本作から学べることはしょうもないですが、女性が本作から得られる教訓は大きいと思う。よって両性に見られることを切に望みながら、本日の感想文としたい。
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