むぅ

飢餓海峡のむぅのレビュー・感想・評価

飢餓海峡(1965年製作の映画)
4.0
三國連太郎を観たかった。

「知らしめたかったのかもしれません。源頼朝を祖父に持ち、源頼家を父に持った私の名を」
なかなかの台詞!と思った。

この1年毎週楽しみにしていた『鎌倉殿の13人』で、この台詞を放ったのは源実朝を暗殺する公暁を演じた寛一郎。
寛一郎の父は佐藤浩市、そして祖父が三國連太郎。
本人も複雑だろうなと思うから、俳優を観る際、誰の親、誰の子ども、誰のパートナーという点は極力排除して観ようと思っているものの、この台詞は寛一郎も自身の心境の何かしらを重ねて口にしたのではと思ってしまった。
そこで、ふと。
三國連太郎の作品をほとんど観たことがないと気付く。
「三國は..」
そうトーク番組で語る佐藤浩市が印象的だったというのもある。

いざ、三國連太郎。


戦後間もない昭和22年。
北海道の質店に強盗が入って一家を惨殺。証拠隠滅のため火を放ち、それが市街に延焼。
その夜、北海道を襲った台風により、青函連絡船が転覆して多数の死傷者が出る。
そしてその中には身元不明の2人の遺体が。はたして。


思わずのけぞってしまった。
最近観ているドラマで「ヘラヘラ生きてる聴者の皆さんは」という台詞が飛んできて、その時ものけぞった。
氷結無糖がぬるくなった。

生きていくため、どう生きていくか、その選択肢が時代ゆえに狭められたり失われていく様が、戦後の貧困、混乱と共にまざまざと描かれる。第二次世界大戦後のGHQの政策で遊郭が廃止される様子や、さらっと赤線・青線という言葉が出てきて、溝口健二の『赤線地帯』を思い出したりした。

その中で、自分自身、誰か、愛情、そしてお金、それぞれが"何か"を強く信じて生きる人々の姿が迫力のある映像と共に残る。
どの時代、どの人であっても、それぞれに"生きづらさ"を感じるものだとは思うが、それを跳ね返そうとする"力強さ"を感じる。
"生きづらさ"もそこまで感じない上に、"飢餓"に至っては全く感じた事のない私は今作を観る前に、たらふく食べた後の鍋を洗うのをめんどくさいと思った事を反省した。反省しつつも一度止めて新しい氷結無糖を取りに行ったので、どこまで反省したのかという所ではあるが。

三國連太郎、左幸子が凄い。
物語に触れる際、「私もそうする」という"共感"も良いが「私なら違うけど、この人ならそうするだろう」という"共感"を感じさせてくれる作品は凄い。
三國連太郎と左幸子が、その"共感"を見せつけてくる。
その説得力が増す後半が特に面白かった。

三國連太郎、瞳がとても印象に残る俳優だった。
原作も読んでみたい。


そして『千と千尋の神隠し』と同じくらい美味しそうな塩むすびが出てきた。
でも今作は食だけでなく、様々な"飢餓"を描いた作品。
タイトル凄い、と思う。
むぅ

むぅ