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ウラジミールとローザのLudovicoMedのレビュー・感想・評価

ウラジミールとローザ(1970年製作の映画)
3.6
《異議あり、映像で法廷を語るすなわち事件を映し出された解釈によって総括する事柄事実を害することに他ならない》

異議を却下する。そんな映画の上映は認めん!→白画面という中盤の映像論にとりあえずビックリ仰天。劇中でウラジミールレーニンをゴダールがカールローザをジガヴェルトフメンバーであるジャンピエールゴランが狂言回し的な主役として演じ、寸劇のように茶化したシカゴ7裁判の模様を撮った本作。
先日のゴダールが他界された速報は世界中というよりシネフィル中が悲しんだニュースってとこか。『イメージの本』地点で遺書ともいうべき仙人の境地を創り上げた頃もう結構な高齢だったので、ついに順番が回ってきたとわかっていても思いの外、心が痛んだ。
作中に登場したり、音声が入ってきたりとある種アイコン的に馴染みやすい難解ジイさんの印象があったので、もう居ないのかと思うと寂しくなります。

という訳で久々のゴダール鑑賞にも関わらずいわゆる政治に関する映画時代、ジガヴェルトフ軍団名義の本作を謎にチョイスしてしまった。この時代というかゴダール映画を観てると自分が頭悪くなった気分になる。シカゴ7裁判事件の題材だけあって概要はなんとなく知ってるが、隙あらば政治論争に言及しまくるあたりがムズい。がしかし晩年の仙人みたいな映画を創るゴダールに比べると、本作は特にシャレが通じる取っ付き易さがある。ほとんど茶番でしかない法廷劇をあらゆる映画的ハプニングで中断する映像と音声の乖離。ゴダールの言うソンとイメージでソニマージュ理論がいよいよ傾倒してきたスタイル。何度も挿入されるローリングストーンズ風楽曲のサンプリング感覚がカッコいいやら(恐らくこの楽曲市場に出回ってない?いくら調べても詳細が見当たらない)法廷再現にあたり映像で述べられない空白を黒画面を引用することでもはや映画では太刀打ち出来ない事実性の考察をゴダールが投げかける。(事実の調査不足以上に映像と音で何かを語り受け取る行為そのものに限界のある出来事もあるのだと訴えたかったようでもあり)などなどのハプニングに対し裁判官がブチ切れ「静粛に」と一喝したり、社会の抑圧が見えない弾丸を横切っている風刺としてテニスコートでボールが飛び交う場所からインタビューする場面がある。
非常にシャレが通じた本作の特徴は同じジガヴェルトフ名義作品で絶望的に退屈だった『ありきたりの映画』より格段に楽しかった。

本作ではまず"理論と実践"についてゴダールのナレーションが入る。政治的な分析による理論、そこから如何に音と映像を組み立て理論を映画へ実践できるか、と本作の役割を定義付け開始する。そして中盤「異議あり、コチラの映像をご覧ください」のセリフでインターミッション的に飛び込んでくる"経験と判断"から組み立てた論が興味深かった。経験を参照した判断を組み合わせても事実に忠実な映像を創るのは困難だ、とナレーションが語り、その間フィルム現像機の映像がひたすら流れる。これは事実と解釈に基づいた関係性を鋭く考察しており、事実を伝える/映像化する際そこには語り手の解釈が加わる。いわば本作のエキセントリックなスタイルはその解釈の危険性を極限まで意識的になっているものだとわかる。また裁判劇に結び付けても、このインターミッションでは入り乱れる他の判断に流されるより経験に基づいて判断した方が良いとも語られる。そして白画面へと移り変わる訳です。そんな具合のゴダール節に笑ったり難しかったりで忙しない鑑賞であった。

まあ短い人生、彼の作品はコンプリートできないだろうが、ひとまず膨大なフィルモグラフィの功績をちょっとずつ鑑賞しては頭を悩まされていこうと思う。

アデュー、ゴダール。
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