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エル・スールのLudovicoMedのネタバレレビュー・内容・結末

エル・スール(1982年製作の映画)
4.7

このレビューはネタバレを含みます

《忘れ難いノスタルジーに潜む違和感》

10年に一本単位の映画作家ビクトルエリセが今年30年の時を経て新作がやってきた。まさにミニシアターへハレー彗星が近づいているこのムードにあやかって過去のエリセ映画を林先生のように勧めてくるリバイバルが行われた。そんな訳で観たことなかった『エルスール』をいまこそ、映画館で体験だ。

『ミツバチのささやき』の芸術性は引き継がれているものの、入り組んだメタファーの解読より画面に映る子供の事情を眺める味わいがあったのに対し、本作は日記を書き上げるようなモノローグを先行させ子供が大人の事情に踏み込んでいく不均衡な距離感にまつわる作品だ。加えて監督が意図した上映時間が叶わず大幅にシナリオを変更した曰く付きの作品であるとのことで、『ミツバチのささやき』からのギアチェンぶりに観る側も調子が狂う作品だったが、これが思いもよらぬ大ホームランではないか、全てのショットが愛おしかった。

真っ黒な画面に漏れてくる明かりがギリ映像を形成し次第に照らされる。声やモノローグが聞こえてくると寝室の壁画が光の匙加減でフワッと浮き立つ。この要領を常時人物などに応用させた映像美となりどこを取っても美しい闇を写している分、影を落とす光は温もりを肌に感じ取るような効果が際立つ。全体がくすみがかった画調による寒村のひもじさから神がかりのショットが連発する。その数えきれない絶景にノックアウトですわ。

父が消えた早朝、形見の振り子を手の中に収めるエストレリャがかつてを振り返るがモノローグの声はもっと年老いている。なんの迷いもなく父との時間を紡いだあの頃に、確かにあった違和感をモノローグが拾い集める傍ら本編は無限に続く(と思ってた)"ノスタルジー"というものに対話する目線を持ち合わせる。その状態で鑑賞していることにより語られる物語とは別にノスタルジーに浸れば浸るほど害を及ぼすカウンター的なマジックがスクリーンの外側にまで差し込んでくる。

が、なにより本作の愛おしい理由として幼少期エストレリャの飾らない子供らしさがあり、あの嬉しそうな顔とか生意気なワガママで一気に虜になった。物分かりのいいパターンも色々あるけどやっぱ子供はこうでしょ、間違いないなと思った。水を探すシーンのロケーションといい、南の地を羨む絵葉書の画面といい初聖体拝領の神秘な雰囲気。囁き声と誰かを呼ぶ叫び声、チラシを火で燃やす瞬間など全てが私はもとよりエストレリャにとって鮮明な風景だと挿話的に語られていく。お父さんのことが大好きすぎるあまり、ただでさえボッチなのに大人の事情ばかり気になってしまう。父親は父親で超無頓着なため、その歪んだ関係に対し、乳母が「子供が気にするもんじゃありません、大人になってからでいいの」というやり取りが奥深く人間は簡単に善悪で分け隔てられるものでなくもっと複雑なんだと教わるくだりで無性に突き刺さった。
父と娘の不穏なツーショットも意図的か!と言わざるを得ない闇からまるでドラキュラにでも扮したかのような振る舞いで出現し花嫁姿の娘が飛び込む凄すぎる場面。カフェの窓を隔てた二人→父が移動して窓越しのショットが完成する素晴らしさの時はファスビンダー映画を思い出すどうでもいいことを考えてしまった。

中盤に差し掛かると父が焼けぼっくいを狙った女の存在を知るエストレリャだが容赦なく一方的な距離の詰め方だったとモノローグで自覚的になってくのがまたしんどく。そのまま父のふらつきは自発的な"権助提灯"状態に帰る場所が失われ、なおかつ提灯を照らす権助役がちょうど娘に値しながらも提灯を拒み続ける父は闇を彷徨うばかりで「もう夜が明けた」のオチも与えられず。からの地獄のようなレストランのぎこちない会話でお父さん可哀想というか、一番見られたくないポイントを丸裸にされ耐えられんて感じだった。一方でこんな別れ方されたら一生モンのトラウマだわ、という瞬間で物語が閉じる。全てを悟ったバージョンで反復した冒頭に一緒に泣いてしまった。そして思い馳せ続けた南(エルスール)へ向かうのだったつって普段なら苦手な見得を切る終わり方なのにコレは筆舌にし難い感動があった。恐らく、南の地で彼女の心が回復してくであろうパートを切った事で救いがなく煮え切らない終わり方になってしまっている。てか回想だけかよ、て気持ちになるんですが『時をかける少女』同様ノスタルジーを閉じ込めるためだけの映画の存在意義を強く打ち出せている。ということが堪らなく心に残り続けるような気がする。もちろんノスタルジーといえども本人にとってはキツい思い出なことは明白だが、語りの年齢から推測するにあまりに忘れ難い"故郷"の記憶であることに異様なかけがえのなさがあった。

また、家出したくなったエストレリャが自転車で画面の奥に向かって行き成長した姿で自転車漕いで画面に帰ってくる編集の力により他愛もない日常からあたかも家出が実現したかのような比喩を組み立てるジャンプカットにビビらされた。など予想外な大好き点が溢れて予想外に大切な作品となった。
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