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瞳をとじてのLudovicoMedのネタバレレビュー・内容・結末

瞳をとじて(2023年製作の映画)
3.5

このレビューはネタバレを含みます

《30年もの難産の果てに見たビクトルエリセの自己実現》

映画史には度々タイミングの悩み/めぐみという事象がありますが、様々な映画作家はことごとく予測不能な動きを見せ如何に映画の出会いが大事かと痛感することとなる。
それでいえば、今年はビクトルエリセのタイミング年として後々に自慢になりそうだ。

30年もの悟りを経て自らの監督人生を挫折と例え、更にかつての伝説と化した監督作品である虚構から活路を開くメタ構造化。あらゆるレイヤーが積み重なりまるでエリセの傷心旅行を観るが如く歳の取り方について問う。そんな離れ業を成し遂げた驚異のメタ構造作品となっていたが、これが『ミツバチのささやき』を観たか否か?はたまたビクトルエリセ?美味しんですかそれ?レベルの立場で観たら全く感想が出てこないような映画でありサブテキスト効果ありきでとてつもない感動が降りてくる。

悲しみの王と呼ばれる屋敷へ男が入っていく。彼はとある娘の写真を渡され見つけ出して欲しいと依頼を受ける会話を『ロングデイズジャーニー』のような趣きでチェス好きの自分はキングの駒に例えて孤独であるのだと、気がついたら吐露されておりもう一度娘の眼差しを見たいのとか言われる。そのくだりは『別れのまなざし』という撮影中頓挫した架空の映画のフッテージであったことが明かされ、依頼を受けた役の主演俳優フリオは表舞台から姿を消してしまったようで、そのまま20年の月日が経ち本編が始まる。まず驚いたのが2012年舞台となる映像が当たり前だが非常にモダンで忙しなく進む現代の情勢が映っていることだった。ビクトルエリセほどの映像職人はある種の気難しさイコールで難解イメージに結びつく世評もあるだろうが、30年もかけた珠玉ならさぞ映像力作品になってると思ったが気難しさは拭われ当たり障りのない質感でじっくり眺められる。前半2時間は映画と人生の歳の取り方について同窓会チックに懐かしむ様子をひたすら対話を重ねフェードインフェードアウトで羅列していく。この絶妙な退屈さと渡部陽一みたいな語りスピードが実は好きだった点もあるが全体的な第一印象として、優しいエリセ映画、みんなが協力的になって忘却の彼方から手を差し伸べるようなムードが心地よい感想だった。

主人公はエリセの投影となるミゲル監督で失踪したフリオを探し出すミステリー軸となり。手がかりとなる人物は皆協力的であのアナトレントがフリオの娘として、すなわち父親に忘却された存在としてそれを取り戻そうとする役回りとなる。彼を思いミゲルはふと火サスのようなビジョンを思い浮かべると「あなたは今も現役監督ね」と優しい目線が差し込む。

やがて施設で名前を失った男として暮らしてたフリオがアッサリ見つかり記憶を呼び覚ますべく講じる策がドンドンビクトルエリセの実現されなかった未練が内面化されていく。
そのスタンスはちょうどテリーギリアムが未完の映画の呪縛に囚われる内自身がドンキホーテと化してしまった過程を丸ごと映画にしてみせたメタ構造化に近いが案の定支離滅裂な代物と化し失敗作だった。またグザヴィエドランが『ジョンFドノヴァンの死と生』に重ねた過去と現在の内面化のようでもあったが、本作は見事なバランス感覚で『エルスール』の意図しなかった仕上がりと劇中映画『別れのまなざし』を踏襲して魅せた。フリオの所持品からキングの駒を受け取り握りしめる『エルスール』ネタ的モチーフ使い。(意外と重要なコミュニケーションとしてタバコのもらい火というのもあった)フィルムという虚構の中に姿と名前を消したフリオとミゲルの関係を経由しドンキホーテよろしく『別れのまなざし』と本作品がシンクロしていく展開は映画という一つの自己実現に集約されていく。ひょっとしたらビクトルエリセにとって本作品が完成したことがそれに値するのかもしれません。劇中では『奇跡』ってタイトルの作品を撮った事ある監督で親父ギャグみたいに引用されるが、そこへ向け思いついたのはなんと巡回上映という手だった。『ミツバチのささやき』という虚構内でアナにかけた魔法を監督は現実の枠組みで実現さそうと試し、その瞬間を観客はお裾分けしてもらう。観るのは実現されなかった『別れのまなざし』の終盤フッテージでありその間のパートがちょうど『瞳を閉じて』本編に当たるため2つの物語が擬似的な完成形映画としてピッタリ合わさる構成になる。フィルム内とフリオの目線が交差したエモーションで “I was cured all right.”(完璧に治ったね)を捉えようとする。ビクトルエリセは過去凝視する眼差し演出で映画を閉じたのに対し、本作では瞳を閉じて静かに終わる。もし本作を妄念を断念するストーリーと解釈するならば、瞳を閉じる行為に当てはめ眼差しを見開くこれまでの過去作はその逆だったとエリセ論まで開拓できそうなほどのやり切った感、を前に込み上げるものがあった。

確かに素の状態で観るとクドカンじみた回収技巧とか思われても仕方ないが、いずれにせよメタ構造化の限界に挑戦し自分で自分を救ってゆく展開にまんまと心打たれた。
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