140字プロレス鶴見辰吾ジラ

ターミネーター2/特別編の140字プロレス鶴見辰吾ジラのレビュー・感想・評価

ターミネーター2/特別編(1993年製作の映画)
5.0
【映画体験としての最高峰】

「ターミネーター2」は通常版を過去に投稿してますが、「ニューフェイト」を見たこともあって特別編を投稿。

ターミネーターというコンテンツにおいて圧倒的な体感力のある2作目。時代、キャラクター、敵の魅力や技術力のピースがすべて物量的に掛け合わさった名作に他なりません。

ターミネーターの1作目は限りある予算の中でホラーなテイストとサラとカイルのロマンスが詰め合わさった名作でしたが、続編として描かれた本作はあらゆる格好良さや不安や恐怖がMICS化学されています。

アーノルド・シュワルツェネッガーのショットガン片手にハーレーダビッドソンで失踪する親父的な憧れは、過去に敵だったにも関わらず間違いのない強さの象徴であり、ジョン・コナーの父親的な側面と無骨なサイボーグ性が笑顔や涙を語る上でのキャラクターとして抜群です。

液体金属をCGで描いた敵のターミネーターは、ロバート・パトリックのドライな表情と、液体であるがゆえの万能性。ある種設定情報の無敵キャラとして対することに完璧な造形です。これが大きな壁となりターミネーターの本作以降の憂いでもあり、映画史上に残るギミックです。「アビス」でキャメロンが練習してからの満を持しての登場は素晴らしい!

サラ・コナーは前作の経験を得て強くたくましくも世間から壊れていると疎まれ、それでも我が子のために世界を敵に回せる母性としての魅力があります。

ジョン・コナーはエドワード・ファーロングの母性を引き出すことのできる少年の魅力を迸らせ、ターミネーターにトラッシュトークを教えるシーンなど印象深い。反抗期の少年が父親役のT-800との別れを涙するシーンの喪失は、彼の経験になくてはならないモノだとシリーズを通じて証明されます。

マッチョイズムに溢れたターミネーターとドライで非マッチョながら怪物として掴みどころが排された新型ターミネーター。スカイネットと呼称された管理社会の末路と自由主義とニューシネマ時代のクラシカルを纏ったシュワルツェネッガーのターミネーターが描く造形は、単純性もありながら奥深き映画の成せる魅力的なヒーロー像でした。

受難を経てたくましくなったサラ・コナーは我々の母であり、暗闇を切り裂き失踪する見えぬ未来の表現が、自由であるがゆえに強さを持てというエールとして映る体験や思い出として、あらゆる完璧性を誇る壁としての存在となっています。

「ターミネーター2」は
我々の共通認識としての
冒険譚であり
憧れの男らしさや
母性の象徴をもたらす
歴史に掻き消されぬ
傑作なのだと思います。