きまぐれ熊

クラウド アトラスのきまぐれ熊のレビュー・感想・評価

クラウド アトラス(2012年製作の映画)
4.4
よくハリウッド版火の鳥と形容されるけど、輪廻転生の映画ではなくニーチェの永劫回帰の物語化。
そう捉えないと、混乱が生じる上に色々読み間違える。
火の鳥よりもジョジョ6部の方が近いかも。人間讃歌だし。

というのも、輪廻の物語じゃないと示す為に各魂の輪廻の時系列順で考えると矛盾だらけだからだ。個人的には輪廻は一巡じゃないと捉える方が飲み込みやすい。
輪廻転生って人の世は地獄だから、魂を研磨して地獄からいつか脱出できるように頑張ろうね。っていう方向性で、
永劫回帰は無限の時間の中で、人や社会は同じ事を実は繰り返し続けているけど、それでもなお誰かに貢献したり、社会を良くする存在になれるように生きようね。って方向性。それが出来るのが超人である、とニーチェが定義したって感じ。
なのでこの二つの概念は全くコンセプトが違う。と言うか逆方向。それゆえに輪廻の物語と解釈すると訳わかんなくなる。
ややこしいのが永劫回帰に説得力を持たせる為にモチーフとしては輪廻を採用してるってとこだよな。ちなみに永劫回帰自体は色んな方向から否定されているので、あくまで哲学の思考実験程度に捉えた方が丸いです。

それプラス混乱の元になってるのが、流星の痣。最初は流星の痣が同一の魂なのかな?とか推測してると途中で完全に置いてかれる。個人的な解釈としてはこれは超人の証なんだと思う。
壮大な間隔で同じ事を繰り返してるけど、あるタイミングで選ばれて社会に価値をもたらす存在になれる魂として生まれてくる。
その6つのタイミングを切り取って映像化したのがこの映画って感じ。

SFであったり、スピリチュアル系っぽく見えるけど、哲学映画という方が適当だと思う。マトリックスはキリスト教モチーフだったけどなんだかんだメッセージ性のテイストは似てる気がする。

ニーチェの事前知識がなくても感覚で捉えられる様にこの壮大な舞台を用意したんだと思われるけど、永劫回帰のコンセプトくらいは知らないと流石にキツい。原作である小説版では永劫回帰って言葉自体は出てるらしいからちゃんと説明されてんだろうね。
永劫回帰の物語化としてはゲームのゼノサーガの舞台設定の方が秀逸だな〜って思う。ゼノサーガは繰り返しのロジックもSFだし、回帰を超えるメッセージ性ももうちょっとストレートで明快なんだよね。あっちも難解である事には変わんないけど。

とは言え、ここまでの大掛かりな生まれ変わり劇ってそうそう見れるもんじゃないし、あらゆるものが繋がっている様なロマンチックな感覚は他の映画では中々得難い体験なので、厳つい映画を見たい時に腰を据えてみるだけの骨太さはあると思う。

賛否を呼ぶ好き嫌いある映画っていうよりは、ブッ刺さるか、つまんなくて記憶に残らないかの2択。
人によってはベストって思える人も少なくないタイプの映画。かく言う自分も大好きなタイプ。
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