八木

フォックスファイア 少女たちの告白/ガールズ・ギャング・ストーリーの八木のレビュー・感想・評価

2.8
 多分、ローラン・カンテの一本目を見るのは「パリ20区」じゃないとダメだった気がしました。反省。

 ティーンの女の子が打算で集まって打算で集団生活してたら、組織化もうまくいくはずがなくて崩壊しました、というストーリーです。1955年という、僕にとっては、おそらく資本主義や男性社会の勃興や台頭に対して、抑圧された女性というマイノリティが『何か思っていたんでしょうね』というイメージでしか語れないので、面白さをいくらか損なってるような気がします。
 僕は基本的に、打算で動いた人間が予想通り崩壊していくストーリーを楽しめない人間でして、この映画も完全にそのような映画です。ひどい環境に生まれた女子たちが、男たちに攻撃を加えられたらなんとなく殴り返し、一人でか弱いから群れ、楽しいので集団生活を開始して、そこに集まるのは基本的に掃きだめに惹かれるようなしっかりとしたアホがそろっていくわけです。
 エンタメ的な要素として、男や資本主義への逆襲に映像にスカっとする部分は多分ないと思います。男たちは基本的に時代なりの価値観で動かされ、または単にゲスな人間が多く、女子を搾取の対象とみております。そのカウンターとして、主格のレッグスが、結果的に「フォックスファイア」というギャング集団を結成するのですが、リベンジの方法が暴力と略奪、ちょっと入り組んだ計画も立てられず、大掛かりになると失敗もします。時代と生まれた環境に呪詛をひたすら唱えながら、犯罪行為をしたところで特に解決がなされないことが明白なまま、話が進むんですね。そういった映像が、150分くらい続きます。
 どこまでいってもチーム感が生まれず、しかしレッグスのカリスマ性のみでギリギリ保っている組織であることが描かれていて、そのスリルを楽しめたらまた違うかもしれないですね。

 結局この映画がどういう話だったのか、というと、主格のレッグスと、親友のマディによる友情の話、という風に収束しておりました。でもねえ、そのネタ振りそこまで強かったように見えないんですよ。そして、エンディングで語られる、他メンバーのチンピラゴッコと違ってレッグスだけはホンモノでした、ということがオチになっております。その事実って、誰にとって必要だったのか、と見終わって考えてしまった。
 だって、レッグスがホンモノだったということは「ホンモノに感化されて救いを求めた女子たちは、やるだけやったけど普通にアホだったし成功もしなかった、しかしレッグスは進化した」というずっと目線が交わってない話だったわけですから。どういう話だったんでしょうね?

 映像や女子の取り方はずっと緊張感があってよかったと思います。
八木

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