朱音

ドロップの朱音のネタバレレビュー・内容・結末

ドロップ(2008年製作の映画)
1.8

このレビューはネタバレを含みます

青春物語とは似て非なるもの。
品川監督の半自伝的出来事の羅列とフィクションの綯い交ぜによって綴られるストーリーは主人公にとって常に都合が良く、居心地の良い環境や関係性と、取り巻くキャラクターたちの言動によって保護されているかのよう。
ただやりたいように、無礼で、野卑で、粗暴な行いの先になんら一欠片の制裁もなく、また反省も挫折もない。率直に不愉快に感じられたシーンも少なくなかった。

観客はこの自伝からなにを汲み取ればいいのか。

俺って昔はヤンチャして凄かったんだぜ。
仲間はクレイジーで、めちゃくちゃ喧嘩強くて、俺は何故かそいつらに気に入られてね、バカやってムチャして楽しかった。
みんな俺からしたら良いヤツらだったよ。

所謂武勇伝である。こういうものを発したくなる気持ち自体は分からなくもない。人は誰しも色々経験し、逸話も多少なりとも持っているだろう。だから何だと一蹴され、一瞥されるのがオチで、せいぜい酒の席で捲し立てては苦笑いされる程度のものだ。中にはすげえと関心する人も居るのだろうが。とはいえそれが漫画化され映画化までされてしまうのだからこれはもう凄いとしか言いようがない。

元ヤンの"イキり"武勇伝、下手な"なろう系"
本来このような言葉で作品を評したくはないが、これ以上の言葉が出てこない。

観客よりも誰よりも撮っている本人が一番気持ちのいい映画。というのはすべての芸術表現において言えることだが、さにあらず、どこまで解体しても本作には表現の核と呼べるものがない。カルト的な狂気もない。無難なよくある類の承認欲求と自己顕示を中核として、自分好みのエッセンス(演出や音楽、キャスティング、既視感のあるシークエンス、〇〇風カット、笑い)でデコレートしたものに過ぎない。

加えて言えば、暴力や、素行不良の行いを描きながら、それが導き出す結果を描いていない。

そこは自伝だから、事実に基づく時系列だと言われればそれまでだが、例えばヒデの死はヒロシらの喧嘩や蛮行が元で、あるいは遠因となってそうなったのならまだ分かるのだが、本編にある通り事故である。つまりクライマックスの大立ち回りのカチコミと、並行して描かれるのには違和感しかない。何故こんな撮り方をするんだろう。

ヒデの死によってはヒロシが自分の生き方を変えるきっかけになったのは納得出来る。なら精算すべき事は他にもあるはずだろう。
仲間と離れて自立するというのは立派だけどさ。これって家族の問題だし、本人の自立の問題で、じゃあここまで描いてきた物語や仲間たちってなんだったの?

この"ドロップアウト"が彼になにを齎してなにを変えたの?

まったく分からないまま終焉を迎える。
これは物語と言えるだろうか?


と、致命的な欠陥を抱えつつ、個々のディテールだけをみるならばなるほどたしかに評価出来る点も見受けられなくはない。

少なくとも映画のルックは悪くない。
キャスティングも良く、個々のキャラクターは好きだと言える。
特に主役のヒロシを演じた成宮寛貴は凄く良かった。役者としての感受性の高さ、順応性共に抜群で本当に口先八丁の情けなくも、男らしい、優しいキャラクターがハマっていた。
また役者として起用された芸人たちの芝居も総じて良かったと思う。
コント的な台詞やギャグも一部を除いて笑えなくもなかったけど、面白いという程でもなかった。個々の芸人のお笑いとしての見せ場はそれ自体面白がれても、映画というフォーマットの中では明らかに浮いている。これはノイズになる。

編集は基本鈍重でイライラしたが、時折クスッと笑える繋ぎが見受けられもした。

そして肝心な喧嘩シーンは、見掛けの派手さ、ケレン味という点では見事だろう。だがリアリティはない。吉本的には全年齢対象にしたかった意図があるのかもしれないが、あれだけ殴れば歯は折れるし、拳は剥ける。
バットやパイプで殴れば骨も折れるし頭は割れる。
ようするにもっとグロテスクな結果が伴って然るべきなのだ。

「人はそんな簡単に死なねーんだよ」

いや死ぬが……。これが決めゼリフだと思っているの個人的にはかなりキツい。
朱音

朱音