小松屋たから

はじまりのうたの小松屋たからのネタバレレビュー・内容・結末

はじまりのうた(2013年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

「音楽はただの平凡な風景を真珠に変える。しかし、歳をとるとその真珠が見えなくなっていく」という趣旨のセリフが胸に沁みる。

冒頭、デビューする彼・デイヴと一緒にイギリスからN.Y.にやってきて、でもあっという間に浮気され荒れている、自身もシンガーソングライターのグレタ(キーラ・ナイトレイ)と、かつては名を馳せた音楽プロデューサーだったが今は落ちぶれているダン(マーク・ラファロ)が出会うまでを、巧みな時系列の組み換えで見せていく過程は秀逸。二人の邂逅が奇跡にみえて、実は必然だった、ということが、無理なく腑に落ちる。最近の邦画では「さよならくちびる」がこんな構成をやりたかったのかな、と気づいた(あちらは主に出会ってからのあれこれだが)。

いい歳をした大人たちが、楽しく無許可路上ライブ収録を重ねていく中で、恋人や家族との絆を取り戻していく、という、特別感は薄い展開だが、ニューヨークという街の持つ不思議な魅力が、それこそ「平凡を真珠に変えていく」。

二人の仲が、「恋愛」に至らず、あくまで、「音楽で繋がっている」というところにとどめたことが後味の良さを残した。

最後のライブは、グレタは、デイヴに別れを告げた、という解釈でいいのだろうか。デイヴは二人にとって大切な曲を途中から演奏を大衆向けのアレンジに変えて、彼女に、ビジネスを知ってほしかった。いや、いつのまにか、それしかできなくなっていたのか。

グレタは自分の音楽は好きな人のためにだけ作り、好きな人にだけ聴いて欲しい。その純粋な思いが、あの行動をとらせた。しかし、皮肉なことに、きっと、彼女はあれでYoutuber的なスターになるだろう。すると、また、大手の会社から契約の誘いが殺到するに違いない。

でも、彼女はそれをはねのけ、世界のどこかに不意に現れては曲を残して去っていく、音楽界の「バンクシー」のようになってほしい、そんなことを思った。