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アイス・フォレスト/氷の森
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『アイス・フォレスト/氷の森』に投稿された感想・評価

Omizu
3.0
【第27回東京国際映画祭 コンペティション部門出品】
『我らの父よ』クラウディオ・ノーチェ監督作品。東京国際映画祭では『アイス・フォレスト』としてコンペに出品された。

『アンダーグラウンド』などで知られる巨匠エミール・クリトリッツァが主要キャストの一人として出演しているサスペンス映画。

クリトリッツァの顔を知っていたので「おお!」となれたが、知らなければ普通に役者だと思うくらい演技が上手い。ただ、髭面のおじさんがたくさん出てくるのでクリトリッツァ以外を見分けるのが難しい…

配信スルーになってしまったのでまともなビジュアルがなくB級映画のような佇まいになってしまっている(ここでもそう思っている人が多そう)のが勿体ない。

『我らの父よ』でも思ったが、やはりこの監督は雰囲気作りはいいが作りが甘い。何が言いたい映画だったのかがイマイチ印象に残りづらい。

雪深い村で繰り広げられる失踪事件を発端としたサスペンスだが、最初に映されるシーンで大体の予想が出来てしまう。意外な展開のつもりかもしれないが最初がネタバレなので驚きはない。

とはいえヨーロッパを悩ませる難民問題をテーマにした社会派な一面もあるし、寒々しい景色で繰り広げられる演技もいい。雰囲気はとてもあっていいのだが、やはり作りが甘い。

面白さはたくさんあるのだが、今一つインパクトに欠ける映画という印象。ノーチェ監督の画作りは好きなので、中身をもう少し詰めていってほしい。
R41
4.7
### 氷の森――凍った村から、一人を連れ出す

『氷の森』を最初に観たとき、正直に言えば、物語としてはかなり不完全な作品だと感じた。

人身売買という重大な事件が描かれているのに、その事件そのものは解決されない。

組織は残る。

ファーニンは復讐を果たしたあと、ラナによって逃がされる。

そして捜査官であるラナも、事件を最後まで追うことなく、一人の娘を連れて町を出ていく。

犯罪映画として考えれば、あまりにも中途半端である。

しかし、もう一度この作品を考えてみると、その「中途半端さ」こそが、この映画の描いているものなのかもしれないと思えてきた。

鍵になるのは、冒頭のラナの行動だ。

ラナはハンターから動物の内臓を分けてもらい、それを森に撒く。

彼女は熊に餌をやっている。

ラナは捜査官であることを隠し、熊の専門家を装ってこの村に入っている。

だから、この行為そのものは彼女の偽装なのだろう。

しかし、ここには観客だけが気づける奇妙なズレがある。

真冬の、雪と氷に閉ざされた森。

熊は冬眠しているはずではないか。

それでも村人たちは、誰一人として疑問を持たない。

なぜ熊に餌をやるのか。

本当に熊がこの時期に活動しているのか。

そんなことを考えもしない。

ここに、この作品の最初の「ズレ」があるのではないだろうか。

ラナが変なのではない。

ラナの行動を見ても、それを変だと思わない村人たちもまた、どこかがおかしい。

いや、もしかすると彼らは長い時間をかけて、異常なものを異常だと感じなくなっている。

人身売買が行われていても、それを止めることができない。

娘が「俺たちの女」と呼ばれていても、それを人間としての尊厳の問題として捉えない。

人間が人間として扱われなくなっても、それを日常として受け入れてしまう。

ここでは、異常が日常になっている。

そして、それこそが「氷」なのかもしれない。

氷は、人間を閉じ込める。

しかし、本当に恐ろしいのは身体ではなく、思考が閉じ込められることだ。

自分が閉じ込められていることさえ、わからなくなる。

この村の人々は、そこから出ようとしない。

ファーニンもロレンツェも、イタリアから出たことがないという話をする。

単なる旅の話のように見えるが、この作品では「出る」ということが、ひとつの重要な意味を持っているように思える。

ファーニンは過去から出られない。

兄を殺された記憶から出られず、復讐という一点に凍りついている。

ロレンツェたちは、人身売買という世界から出られない。

村人たちも、この異常な世界から出られない。

そして、娘たちは文字通り、この場所から出ることができない。

そこへラナが入ってくる。

彼女は捜査官として事件を追う。

ファーニンが何者なのかを調べる。

難民としてこの町にやって来たこと。

兄とともに人身売買に巻き込まれたこと。

兄が言うことを聞かなかった罰として殺されたこと。

その首謀者がドラゴやロレンツェだったこと。

やがてラナの中で、それまでバラバラだったものが一つにつながっていく。

しかし、真相が見えたあと、彼女の行動は捜査官としての正しさからさらにズレていく。

ファーニンを逃がす。

人身売買事件の捜査を切り上げる。

そして最後に、一人の娘を連れて、この町を出ていく。

これは、ラナの正義が正しかったという話ではない。

むしろラナ自身もまた、この森に入ったことでズレていったのではないだろうか。

冒頭から、彼女は少しズレている。

そのズレが、捜査にも、ファーニンとの関係にも、そして最後の選択にもつながっていく。

だから、この物語そのものがズレていく。

事件は解決しない。

組織も消えない。

ファーニンも裁かれない。

それでも、最後にラナは一人の娘を連れて出る。

ここで、この娘の存在をもう一度考えてみたい。

彼女は、単なる人身売買の被害者なのだろうか。

もしかすると、そうではない。

**この娘そのものが、凍った村の象徴なのではないだろうか。**

彼女は自分の名前を奪われている。

「俺たちの女」と呼ばれている。

自分の意思でそこから出ることもできない。

そこには、村そのものの姿が重なっている。

人間としての感覚を失い、異常を異常だと感じなくなった村。

そこに閉じ込められた人間性。

それが、一人の娘の姿として現れている。

だからラナが彼女を連れて出るということには、単なる救出以上の意味があるのかもしれない。

ラナは村全体を救うことはできなかった。

人身売買の組織を完全に壊すこともできなかった。

ファーニンを過去から救うこともできなかった。

凍ってしまった人間たちの思考を溶かすこともできなかった。

それでも、一人だけなら連れて出ることができた。

つまりラナが最後にしたのは、

**凍った村から、人間性を一つだけ連れ出すことだった。**

それは、事件の解決よりも小さな行動である。

しかし、この映画にとっては、その小ささが重要なのかもしれない。

世界を変えることはできない。

すべての悪を消すこともできない。

すべての人間を救うこともできない。

それでも、自分の目の前にいる一人を連れて、この場所から出ることはできる。

だから最後の「出る」は、単なる移動ではない。

ファーニンも出る。

ラナも出る。

そして娘も出る。

しかし、その意味はそれぞれ違う。

ファーニンは復讐を終えて出る。

ラナは捜査を終えて出る。

そして娘は、初めて自分の意思ではなく、誰かに連れ出されて出る。

この三つの「出る」の中で、本当に意味を持つのは、娘の「出る」なのかもしれない。

彼女は、自分では出られなかったからだ。

だからラナが連れていく。

そう考えると、「氷の森」というタイトルも、単なる舞台設定ではなくなる。

凍っているのは森ではない。

**人間の思考であり、人間性なのかもしれない。**

異常を異常と感じなくなった村。

過去から抜け出せない人間。

復讐から抜け出せない人間。

支配から抜け出せない人間。

そこに入り込んだラナもまた、完全には正常なままではいられない。

だから物語もズレていく。

けれど、そのズレた世界の最後に、一人だけが外へ出る。

それが希望なのかどうかも、はっきりとはわからない。

村は残っている。

組織も残っている。

人身売買も、おそらく続いていく。

それでも、一人だけは出た。

氷の森を溶かすことはできなかった。

村を救うこともできなかった。

ただ、一人の人間を連れて出る。

もしかすると監督が描きたかったのは、正義の勝利ではなく、**人間が完全に凍りついてしまう前に、誰か一人でもそこから連れ出せるのかということ**だったのかもしれない。

そして、その一人の娘こそが、凍った村そのものだったのではないだろうか。

『氷の森』というタイトルが、最後になって初めて意味を持つ。

そこは、人間が凍ってしまう場所。

そしてラナが最後にしたのは、その凍った場所から、一人だけを外へ出すことだった。

それが、この映画に残された、かすかな人間性だったのかもしれない。
ダオ
4.0
2014年にイタリアでつくられたクラウディオ・ノーチェ監督作品。スロベニア国境に程近いイタリア北部の村で停電が多発するようになり、若き技師ピエトロが発電所を修理しにやって来るのだが……。

なんでこれ見たんだ? って思ったらエミール・クストリッツァ監督が役者として出ていたからだ。評価低めね。たしかに「すげぇおもしれぇ」ってお話じゃないけれど、つまんなくもないよ。特にすぐ電気止まっちゃうとかね。ケーブルカー止まるの地味に怖い。

でもミステリーとかサスペンスとかそーいうんじゃないからな。あ、あたし、これ『チリンのすず』的に見たんだ。そして多分それでいいと思う。重いか。

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