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トイ・ストーリー4のneroのレビュー・感想・評価

トイ・ストーリー4(2019年製作の映画)
4.0
PIXARの長編コマーシャルコンテンツの第1作・最初の「TOY STORY」から24年。ジョン・ラセターはもういないが、さすがにPIXAR、まったくマンネリに陥いることもなく、「変わるのは子供だけじゃない、おもちゃだって変わるんだ。」という明確なメッセージを、最高の映像技術によるエンタテインメントで見せてもらった。

アンディからボニーへという移譲で終わったToy Story 3。新たな居場所を得て、新たな希望に満ちたウッディの晴れやかな表情は印象的だった。そしてシリーズ4作目に至って、ついにおもちゃ達の自己実現へとステージは移る。
遊んでくれるこども(居場所)をLostしたおもちゃ達はどこへ行くのか? すでにボニーにとって自分の存在意義は失われつつあると感じながら、自分はこどものために存在すると信じ、あくまでもボニーをそして仲間を守ろうとするウッディ。”相棒”として過剰にボニーを求めるその姿は空回りの共依存とさえ見える。

そこへ対照として現れるのは、おもちゃとしてのアイデンティティを持たず、自分の居場所である(と信じる)ゴミ箱へ執拗に自身を捨て(Waste)ようとするフォーキーだ。さらに、古道具屋で居場所を求める捨てられた(Lost)ギャビー・ギャビー、そして今回のスペシャルフィーチャー! みずからLOST TOY(迷子というよりむしろ野良TOYかな)という道を選んだボー・ピープと仲間達(彼らが皆楽しい)に出会う。
ボーは3では出番なかったが、経緯はちゃんと描いてくれている。リアルではなんと20年ぶりの再登場だが、驚くのはその性格設定! こどもへの不信感もそうだが、こんなにアクティブだったのぉ!! というかナニがあったのボー? 前からそんなだった? さすがに2はよく覚えていないよ。

<以下ネタバレデス>

拉致されたフォーキーを救うために、ウッディはボー達の助けを得てギャビー軍団に立ち向かう。ギャグ・アクション・ホラーと見せ場も大盛りで楽しい。
戦いの中、それぞれの生き方(おもちゃだけど)に触れて、自身のおもちゃとしての信念が揺らぐウッディ。最後にはウッディ自身もボー達と行くことを選び、バズ達に別れを告げて新たな世界へ向かう。「無限の彼方へ」「イーハー!」 
いやあ感動的じゃないっすか。未来への希望を感じさせるエンディングだった。「宇宙・・・それは最後のフロンティア・・・」ってナレーションが聞こえてきそうなほどね。
そして、なんと言ってもボー・ピープのオトコマエっぷりに惚れてしまう。あれなら自分も「ついていきますっ!」ってしっぽ振っちゃうワン。もっともボーはせいぜい元カレくらいの距離感だったがね。

今回ウッディの仲間たちはフォーキー救出作戦を始めとする”外界”での行動に、バズを除いてほとんど絡まない。むしろ反対する立場だ。バズさえもウッディの変化に対しては否定的な存在として描かれる。変化を象徴するのはやはりフォーキーだろう。造物主ボニーによって産み出され、“おもちゃと成り得た”ことは重要だし、最後に”新入り”に対するフォーキーの成長を表すことでウッディの行動も肯定しているあたりは考えさせられる。

もちろんこちらが見慣れたためもあるが、映像はもはやCGであると認識することすらない。ぬいぐるみの毛並みや衣装の繊維はすでに成熟の域だが、今作ではさらにテクスチャー表現の精度が上がっていた。ウッディの木肌感、バズやフォーキーの樹脂感、そしてボーの磁器感、すべての質感が明確に異なって表現されていたのは目をみはる。アスファルトの荒れた粒状感にも驚かされた。ここまでいくと、逆に人間キャラクターのほうに作り物感を強く感じてしまう。シリーズが継続するかは別にして、今後の技術進化がさらに楽しみになる。皮下の血流までシミュレートするようになるかも。
【字幕版】
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