yoshi

日本のいちばん長い日のyoshiのネタバレレビュー・内容・結末

日本のいちばん長い日(2015年製作の映画)
3.8

このレビューはネタバレを含みます

私の父親は戦争経験者で満州にいた。
子どもの頃、終戦記念日の辺りには、その戦争体験を聞いたものだ。
なので毎年、夏になると戦争映画が見たくなる。
現在が平和で良かったとしみじみ想う癖がついている。
この映画は60年代の岡本喜八監督の傑作のリメイクだが、終戦70年を迎えたからこそ作られる意義と価値がある。

しかし結論から言うと、残念ながらこの映画は岡本喜八版には及ばない。
しかし見る価値は十分にある映画だと断言する。

さて題材の核である宮城事件をご存じの方がどのくらいいるだろうか?
戦争終結、すなわち負けを認めたくない若い将校たちが、宮城(皇居)を占拠、日本の降伏を阻止しようと企図したクーデター未遂事件のことだ。

和平をすすめる上司を「卑怯者」と呼び、天皇に戦争終結を撤回させるべく、クーデターを計画する。
各部隊を説得しながら、協力者を増やす段階で、近衛師団長の説得に失敗し、逆上して殺害。師団長命令を捏造して軍の一部を掌握する。

勝ち目のない戦争になんとしても突き進もうと一億総玉砕の国民全員戦死を主張する若い軍人たちが、日本のためではなくメンツのために起こした事件であると理解している。
すっかり前置きが長くなってしまったが本題に入ろう。
なぜ前作に及ばないのか?

それは私たちのように戦後を生きた人が作ったからだ。
戦時中を知っている前作のスタッフキャストとは温度差が明らかに違うのは否めない。見終わったあとのカタルシス、ヒロイズムが若干前作よりも低いのだ。

その原因の多くは緊迫感を出そうとして、登場人物のほとんどを早口なセリフ回しにしてしまったこと。
若き将校たちに、落ち着きも思慮深さも感じられない。

役所広司の阿南陸軍大臣は、前作の軍人として国の体裁を最優先する威厳の塊であった三船敏郎とは違うアプローチで迫る。
家族や部下思いのマイホームパパの価値観を静かな語り口で盛り込んだ。

屈託のない笑顔で家族との晩酌と会話、そしてその直後の切腹。
この時代の男としては甘さがあるが、覚悟を決めた本当に強い男とは、「自分に厳しく他人に優しい」のだいうことを巧く表現している。

素晴らしいのは、昭和天皇の本木雅弘と総理大臣の山崎努。

前作でははっきりと描かれていない昭和天皇の内心。
本木雅弘の育ちが良い?整った顔立ちから発せられる国民を守る言葉は浮世離れすらしている。
現在の人間が演じるからこそ「多くの国民が生き残り、日本国を存続させてほしい。」と未来の国を語るセリフは、反面、今の日本を憂いているようにさえ見える。

前作ではタブーであったろう昭和天皇の苦悩する心を、表明上は抑えて淡々と演じ切ったのは、好演を通り越して、本木の底知れぬ肝の大きさを感じさせる。

そして山崎努。
若い頃はギラギラした野心を感じさせる危険な香りを放つ役者だった。
黒澤映画しかり、必殺シリーズしかり。
孤高の役が多かった。

今回は意外にも総理大臣役。
前作の笠智衆は、タヌキ親父だった。
しかし山崎努は、終戦の為なら「あと先短い自分の命やプライドなんて安いもんです。」と微笑むスタンスではない。

歳を経ても、弛んだ瞼の奥の眼光は健在である。
「何としても私の内閣で戦争を終わらせる。」との決意は国民を生かす熱意に溢れている。
冒頭「(本土決戦が起こったら)もう桜は見れないなぁ」と呟くのは、「いや、本土決戦はさせない。国を守る。」の反語。

閣議で言いたい事を大臣達に言わせておいて、歪曲する瞬間に唐突にまとめて打ち切る。
また自分の言いたい事を話すだけ話して、有無を言わせず天皇の聖断を仰ぐ変わり身の速さは、明らかに策士だ。

天皇すら終戦のための道具の一つと捉えている節さえ感じられる。

主演3人は他のキャストが早口なのに対して、明らかに意図したであろう会話の緩急が絶妙である。

原田監督があえてこの映画をリメイクして伝えたかった事は何か?
前作とは価値観が違う役者を配して、伝えたかった事は?

前作が、終戦時の国の体裁を熱く語るに終始した印象だったのに対して…
「国も家庭も同じ。守るべきものの未来の姿を正しく考えよ。」というメッセージなのだと思う。

役所広司と山崎努の演技からそれを読み取ることができる。

国民が守るべきモノは何か?
日々に追われ、忘れがちだが、それを考えることができるだけでも見る価値は十分にある映画だ。

70年も戦争がない。これは奇跡である。
そして月並みな言葉だが、日本人は戦争を忘れてはいけない。
お盆に先祖のことを想うのと同様に、1年に1度は先人の思いに胸を馳せるべきだろう。
原田眞人監督の挑戦には、謹んで敬礼を捧げたい。
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