マサキシンペイ

シン・ゴジラのマサキシンペイのレビュー・感想・評価

シン・ゴジラ(2016年製作の映画)
4.5
「GOD・ZILLA」の名に違わぬ、まさに破壊神の圧倒的な進撃を通した、日本という国の姿。東京を焦がすゴジラの熱線はあまりに荘厳で、思わず畏敬の念がこみ上げた。

我々は何故ゴジラを求めるのか。それは人間のせせこましい悲喜交々の全てを、平等に存在ごと踏み潰してくれるからだ。幸福と同時に憂鬱も無差別に破壊してくれるからだ。人間は、息苦しさの先に必ずしも快方を望むとは限らず、むしろ壮大な破滅によって無に帰することを求めるのである。

ゴジラは日常の破壊者である。しかし、ゴジラは日常からの解放者でもあるのだ。
ゴジラの魅力とは、崩壊に対しての恐怖であり、且つ快感であるという二面性である。


ところで、日常を破壊するものとは「戦争」である。そして日本人にとって「戦争」とは、太平洋戦争だ。誰の目から見ても明らかな通り、今作のゴジラは、かの大戦の隠喩である。
その経験が日本に与えたものとは何か。平和主義と核の記憶である。そのあまりにも悲惨な敗北は、良くも悪くも現在の日本を作った。

ゴジラの出現は、その日本の性格を照らし出す。

国家存亡の危機を目の前にしてなおも実力行使を躊躇う政治家、楽観的観測に基づく軽率な状況判断、後手後手に回る対応、責任のなすり付け合い。平和ボケした愚かな日本人の無様な姿が無慈悲なまでに露呈する。
しかし、それでも日本人は戦う。唯一の被爆国であるという記憶と共に、「戦後日本」の誇りに掛けて。


以上の前提から見て、終盤のゴジラとの戦闘における「はたらくのりもの」の突撃は見事と言わざるを得ない。

その捨て身の活躍は、まさしく日常の爆破であると同時に、日本人の戦い方だ。
すなわち、ゴジラ映画の本来的な存在意義と、「戦後日本」の本質的な平和への態度がピタリと重なり、あのシーケンスに結実しているのだ。


日本人ならば、この興奮を是非とも映画館で味わうべきである。
マサキシンペイ

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