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懲罰大陸★USAのbackpackerのレビュー・感想・評価

懲罰大陸★USA(1971年製作の映画)
4.0
【備忘】
原題は『Punishment Park』。
あり得たかもしれないアメリカのifを描く、モキュメンタリー映画。

【あらすじ】
1970年代アメリカ。
ベトナムでの対共産主義との戦争に対する反対運動に対し、米政府はマッカラン国内治安維持法に則り、反政府的危険分子と判断した人々を拘束。
一方的な簡易裁判により判決を言い渡された被告人達には、2つの選択が迫られる。
1つは、十数年の懲役刑。
1つは、パニッシュメント・パークで数日間過ごす。
当然の如く後者を選んだ彼らは知らない。
パニッシュメント・パークの正体が、人間狩のフィールドであることを……。


70年代アメリカの反戦運動と、それを弾圧する政府の姿は、近年のポピュリズム旋風、白人至上主義・ネオナチ復興、人種差別問題の再燃、極右対極左、等の〈分断の社会〉情勢が原因となり、再び取り上げられる事が増えている。
68年民主党大会での反戦デモ逮捕者に対する有罪判決事件を『シカゴ7裁判』としてNetflixオリジナル映画化した事からも、近年の再認識の機運の高まりが感じられる。

本作もまた、そんな時流に乗り、再評価を受けている作品の一つである。
と言っても、公開当初は4日間で上映中止に追い込まれ、その後も延々と封印され続けていた本作も、2000年代初頭には映画人を筆頭に再評価を受けていたため、再々評価と言うべきかもしれない。

特筆すべきは、前半の簡易裁判のパートだ。
この前半パートでは、
若者達の口を塞ぎ(比喩では無く、猿轡を噛ませて黙らせている)、主張に耳を貸さない大人たちと、
大人たちを思考停止と口汚く罵り、自分たちの意見が絶対に正しいと譲らない若者たちが登場する。
双方の主張は、共に自分たちが考えうる「正義」の形であるため、決して相容れず、常に平行線で、完全に分断されている。

互いの言葉に耳を傾けず、コミュニケーションを取ることを諦める人々の姿。
これは、現代アメリカ社会でも顕在化している、政治・経済・世代・人種・信仰と言った、イデオロギー対立による分断の形に他ならない。

「人間、話せばわかる」と言うが、「話してわからないから人間ではない」を地で行くような、お粗末な連中の物語であるにもかかわらず、その狂気は完全に現代社会とシンクロしている。

当然ながら、裁判は大人たちの思い通りに進み、若者は刑を執行されることになる。
ここでの大人たちとは、体制の人間であり、国家権力の代弁者であり、政治の具現化である。
その為、体制・権力・政治にとって法律は、常に自分たちが良いように解釈し、思うがままに国を運営する為の手段に他ならないという、残酷な真実を突きつけてくる。

後半のパニッシュメント・パークについては、手持ちカメラによるモキュメンタリー映像が、淡々と描かれる。
若者達の逃避行と、狩人となった警察の、双方の姿を捉えつつ、カメラは第三者として、目の前に起こる惨劇を決して止められない。

結末の決まった出来レースを見ていると、共感や認め合い等の優しい労わりの精神が失われる恐怖と、それが現代社会に生きる我々が置かれた状況に他ならないことの絶望感が押し寄せ、ホトホト気が滅入ってしまう。
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