<娘さんよく聞けよ 山男にゃ惚れるなよ
山で吹かれりゃョ 若後家さんだよ>(「山男の歌」より)
バカなの?この人達、と思っていたら、パンフレット17ページに特筆大書してありましたとも。
<結論:登山家の妻はオススメできません。>
北インド高度6500mにそびえるヒマラヤ・メルー峰のシャークスフィン。そこは難攻不落の「世界一の壁」。
エベレストと違い、シェルパは雇えない。90キロの荷物を自分達で背負い1200メートル登攀する。そしてその先には、岩場の割れ目や裂け目、足場となる凹凸がほとんど存在しない垂直にそびえる450メートルの花コウ岩。
映像を観れば一目瞭然だけど、こんなところ登るなんて悪夢のようだ。しかし、だからこそ、彼らは登るのだ。
2008年10月、コンラッド・アンカー、ジミー・チン、レナン・オズタークの3人がメルー峰に挑む。予定の7日では足らず、倍以上の日数を要した大チャレンジとなったが、わずか100メートルのところで失敗。失意の3人は二度とメルーには挑戦しないと誓うのだが…。
この後はドラマのような苦難が彼らに襲いかかる。2011年9月、まるで何かに導かれるようにして、メルーへの再挑戦を決める3人。この決定が“常識”からみれば、正気の沙汰ではない。死にに行くようなものだから。
そんな3人を観て感動する自分にとって、彼らが何故、登るのかについて考えることは意味がない。それよりも自分は何故、感動するのだろうか。
映像の圧倒的なスケール感。これは掛け値なしに凄い。反り立つ壁にへばりつく彼ら。大自然の前に人間はとても小さいけれど、だからこそ、命の輝きを感じる凄まじい映像。また、夜の星空は大スクリーンで観て損のない美しさ。
しかし、風景の映像だけでよいのなら、彼らの姿、エピソードはいらない。パンフレット8ページにある言葉が一番観たいことをズバリ示している。
<山は、どこに登るかではなく、誰と登るか。>
このドキュメンタリーは3人の絆の物語。自分が彼らの映画から受け取っているものは人間の絆の力であり、可能性なのだ。
山に限ったことではない。強い絆はどんな困難も克服できる無限の可能性を秘めているかもしれない。そういう希望を感じる映画。