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ダスト・デビルのhorahukiのレビュー・感想・評価

ダスト・デビル(1992年製作の映画)
3.3
『Color Out of Space』に向けて♫

リチャードスタンリー監督の『ハードウェア』に続く長編二作目。束縛厳しめなクソ夫が嫌になって家を飛び出し、当て所なく放浪の初日(2日目?)にヒッチハイクしてきた謎のイケメン・砂漠の悪魔さんにLOVEしちゃうbreakup物語。乗り換えんのはえぇ!

砂漠の悪魔さんは万物の初めから存在してるようで、殺人の儀式を行うことで物質界から解放され魂の世界に行けるらしい。そのために儀式的殺人を繰り返していて、それを地元の警察は連続猟奇殺人事件として追ってる。映画の中でも結構な人数殺してたけど、万物の初めからそんなことやっててまだ行けてないんなら、もう魂の世界に行くの諦めた方が良いんじゃね?って思った🤣何年やってんねん。絶対騙されとるよ😂

『ハードウェア』と同様にドギツイ色彩で彩られた幻想的な画面と砂漠のドライな空気感が相まっての終末感が凄い。あちらのような核戦争後とかではなく普通の日常が進行してるのだけど、ベサニーという打ち捨てられた地が舞台となってるだけあって見てる時の感覚としてはかなり近く、地獄のような息苦しさが漂ってる。

砂漠の悪魔さんは、心の中で死を望む者を嗅ぎ分けて命を奪う死神的な存在。本作から強く感じるのは孤独や断絶で、生きることが地獄となってしまった者たちが砂漠の悪魔さんを呼び寄せているようにも思える。本作の主人公も夫を捨て、当て所なく車で砂漠を放浪するという社会との断絶の道を進み始めたところで砂漠の悪魔さんと出会う。物語が進むにつれて、主人公はこの世という地獄からの退場による救いを得るか、それともこの世に立ち向かうかの選択を迫られることになる。

『ハードウェア』でもそうだったけれど、貧弱で情けない男に反旗を翻す女性の力強さをめちゃくちゃ感じたし、差別の残酷さとそれに対する報復の虚しさも含めて、ベサニーという荒れ果てた地を現実とダブらせて描く意図だったのだろうなと思った。本作の舞台から強烈に感じる息苦しさや地獄のような嫌悪感もそこに起因してるのでしょうね。

ただ、ナレーションでそれっぽいことをずっと語り続けるのは鬱陶しく感じた。『ハードウェア』以上にガタガタ感があって見ててシンドかった。どうやら無理矢理20分カットされてるようで、カットされてないバージョンを見ればそのあたりの受け止め方は変わってくるのかも。あとどーでも良いところなんだけど、「近くのお医者さんに診てもらったら?」みたいな気軽さで「近くの呪い師に相談したら?」とか言う台詞が面白かった!そんなん近くにおらんやろ…とか思ってたらおったし😂
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