140字プロレス鶴見辰吾ジラ

スター・ウォーズ/最後のジェダイの140字プロレス鶴見辰吾ジラのレビュー・感想・評価

4.0
”宗教”

「スターウォーズ」とはアメリカ建国以来神話のなかったお国柄の中で誕生した”彼らの神話”であり、自分自身はそれを”コンプレックス”のように感じている。「スターウォーズ」という超巨大サーガの新たなるエピソードの8作目を任されたライアン・ジョンソンの監督のイエスマンでありつつも自分色を出したリスキーな新スターウォーズであり、逆にリスクに飲まれた大作映画のような光と影の不協和音のような賛否二分の印象深い作品のように思えた。

アメリカ建国史以来の神話としての民の希望を引き受ける羽目になった「スターウォーズ」という巨大コンテンツに対して、ディズニー帝国という巨大資本に翻弄される世界観の希望と不条理の二分性に風穴を開けようとしたのでは?という思惑の面白味を伝わってきながらも。超巨大コンテンツの舵取りにおいて大味かつ小回りの効かない世界で、エモい新世代のセカイ性に突っ込んだことによるお粗末すぎる大回りな旋回劇も賛否両論の内訳とされる部分であろう。

ただ宗教という観点から見た中で、ジェダイ=キリスト教、ルーク・スカイウォーカー=イエス・キリスト的な存在として見れば、伝説に囚われてしまったことの不条理性や、聖書の再現を巨大コンテンツ内にて描かんとする面白味にも気が付けるわけである。

ライアン・ジョンソン監督の過去作は「LOOPER」しか見たことがないが、ルックのキレ味の良さやスタイリッシュさは爆発的によく、大味でないながらも場面転換のキレ味は今作にも表れ、さらに予告編にもあった塩の大地を行く戦闘機と赤色のシークエンス、クライマックスの夕日をバックにした登場人物とファーストオーダーの兵器の対比構図は思わず唸ってしまう。巨大コンテンツの舵取り上、「ローグワン」でも見られた亜空間飛行のダイナミックかつアニメ的な使いどころにも驚いてしまった。そしてそのスタイリッシュなルックから放たれる”否定”という名のコンプレックスを向き合う姿勢のリスキーながら、神話に対して新たなる市井の人々のヒーロー性の発芽と、老いた者と囚われた者を死して開放する、ep7では重役接待としてできなかったであろう部分にメスを入れている感覚が好きだった。ルークがイエスならレンはユダであろうし、レイの出生の秘密の期待へのいい意味での裏切りと、ラストカットの少年につながる世襲問題への否定も堪らない。ep7→8→9とつなぎでありながら、今作の宣伝文句でもある「誰も見たことのないスターウォーズ」への解答はしっかり果たしていたと思う。今年の「GODZILLA 怪獣惑星」のゴジラ概念の否定と新たな世界観に近いものを感じ、破滅的に愚かな戦争構図の中に愛おしさが芽を出していることを評価したい。

今年は「ブレードランナー 2049」というカルトコンテンツの2作目の舵取りを任され、現代的なエモいセカイ感を披露したドゥニ・ビルヌーブ同様にライアン・ジョンソンのイエスマンでありながらも攻撃性が見えた、既存のものへの否定性や宗教的な意図をジャックナイフのように入れ込んでくるのは正直良かったと思う。

世界は去りて道を開けよ
セカイの住人がそこを通る

犠牲を払うのは農家の特攻兵でなく、伝説に囚われた者で、新たな世代はその神話に希望やコンプレックスを見出して立ち上がれ!というような反抗心のような芽にわずかな希望を託して2年後を待つ。



追記)
今作のアダム・ドライバーの演技、そしてルックと演出は圧巻でした。何しろ空気感や質感が明らかにアダム・ドライバーのシーンで変わってました。もう俺たちのアダム・ドライバーとなりました。