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リトル・ボーイ 小さなボクと戦争のmazdaのレビュー・感想・評価

4.2
対日戦争に徴兵された父の帰りを待つアメリカ人の男の子、小さな背にコンプレックスをもつリトルボーイ。
前情報ほぼ無しで観たのでてっきり戦争映画だと思っていたらメインはそこではなかった。「小さな僕と戦争」とは彼が日常でたたかってるもの、いじめ、コンプレックス、父のいない寂しさ。戦争で戦っているのは兵士だけではない。
少年にとって父は父以上に友達であり、相棒だった。そばにいてくれれば、自分の身近な嫌な現実だってへっちゃらだった。そんな父がいない生活は苦しいけど彼が成長する初めてのきっかけだったと思う。結局父が帰ってくる方法は終戦しかなく、彼がどうにかして解決することではない。でも大切なのは、頑張っている父に対して自分は何ができるかと考える姿勢、彼は小さいけどそれをきちんとわかっていた。信じていても願いが叶わないことだってあるし、神様にお願いしても届かないものは届かない。でもその信じるきもちの強さというのは周りに影響を与えるし、必ずどこかで相手に伝わっている。決して自己満足な行動じゃない。
ハシモトの『信じるのは勇気がいること』という言葉が背中を押すようにあたたかく優しかった。信じるって目の前の現実と向き合わなければできないこと、けれどその向き合うというのがどれほど難しいことか。戦争という場所とはまた違った、残されたものにしかわからない苦しみがある。弱い気持ちがあっては前を向けないし、前を向かなければ信じることもできない。小さい彼の信じるきもちの強さは周りを巻き込むほど大きかった。そして純粋に彼に心を動かされるのだ。

広島に原爆が落ちて大喜びするアメリカ人のシーンも、日系アメリカ人のハシモトが街中から非難されるのも、日本人として見ていて辛かったけど、そのシーンを否定することはとてもできない。結局アメリカ人の彼等にとって、"日本人"ではなく"大好きな家族を奪った日本人"という括りをはずすことができない。それは逆の立場で日本人にだっていえること。戦争が勝ったか負けたかなんて大半の人にはどうでもよく、重要なのは大切な人が帰ってくるかどうか。止められない戦争に怒りをぶつける場所もなく、ただただ憎しみしか抱けない。戦争は人の優しさも奪う。
でもだからこそ、優しさを奪われる戦いに負けそうになってる街の人々の中で、優しい自分を忘れない勇気、日本人の友達を信じる勇気、怒りも憎しみも何も変えてくれないから、それを優しさに変える勇気。溢れるほどの愛情で彼は父を待った。その姿に涙がとまらなかった。
お父さんもお母さんもお兄ちゃんも、彼の家族は素晴らしい人ばかりだと思う。みんながそれぞれ、目の前の壁と戦っていて、強くて優しい家族だと思った。父と子の話にとにかく弱いので、短いけどお父さんと僕のシーンが大好きだった。父としてではなく相棒として振る舞うお父さんのその姿勢に微笑ましくなるし、そんなお父さんをずっと待ってた彼も、父ではなく相棒を待っていたような、そんな形の愛にみえた。もっと大きく日本で公開されるべき作品だと思う。
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