ラジウム・ガールズ――1910~20年代アメリカ、時計の文字盤に夜光塗料を塗るペインターとして働き被爆した若い女性たちがいた。筆先をなめて尖らせるよう指導された彼女たちは、その後、腫瘍や骨障害で苦しみ、多くが亡くなっていった。『ラジウム・シティ ~文字盤と放射線・知らされなかった少女たち~』は内部被曝の存在が広く知られるきっかけとなったラジウム・ガールズの物語、その後の街に生きる人々を描いたドキュメンタリーである。 舞台となるのは、アメリカ中西部、イリノイ州オタワ市。半世紀以上たってもなお、取り壊された工場の欠片が町中に散らばり、ホットスポットを生み出している。キャロル・ランガー監督は、かつてのラジウム・ガールズやその家族、そしてオタワの住民たちによる証言を記録し、一本のフィルムとして完成させた。目に見えない放射能による被害、企業や政府の隠蔽体質、恣意的に引き上げられる安全基準値、地域経済における産業と雇用の抱える困難……浮き彫りにされるさまざまな問題は、現代を生きるわたしたちにとっても決して無縁のことではない。 本作は国内外の映画祭で高い評価を受け、米国のみならず各国のTV局で放映、アカデミー賞候補と目された。また、米国環境保護庁がオタワの除染作業にスーパーファンド法を適用するきっかけにもなった。
戦後75年目の残留。生き別れた者が伝える、日本という国の今。「私を日本人と認めてほしい!」-フィリピン残留日本人 。「私は日本人。でも言葉がわからないの!」-中国残留孤児。太平洋戦争以前、…
>>続きを読む1989年から沖縄戦に連行された朝鮮人「慰安婦」と軍属の実相を追い、『アリランのうたーオキナワからの証言』(91年)で「慰安婦」問題を提起した在日朝鮮人2世の朴壽南は、90年代、立ち上がっ…
>>続きを読む上野の山で出会った貫太郎とミツ子はスリを働き補導され、別々の鑑別所に送られてしまう。貫太郎は脱走し彼女に面会に行くが、更生してから彼女に会うことを決意し、少年院に戻る。そんな彼の行動に胸を…
>>続きを読む長田新の『原爆の子』を八木保太郎が脚色し映画化。8万人を超す広島市民がエキストラとして参加し、原爆投下直後の広島を再現した。ベルリン国際映画祭で長編劇映画賞受賞。
大阪・泉南地域の石綿(アスベスト)工場の元労働者とその親族が、損害賠償を求め、国を訴えた“泉南・アスベスト国賠訴訟”。その8年にわたる闘いの全てを記録したドキュメンタリー。
2015年10月、ルーマニア・ブカレストのクラブ“コレクティブ”でライブ中に火災が発生。27名の死者と180名の負傷者を出す大惨事となったが、一命を取り留めたはずの入院患者が複数の病院で次…
>>続きを読む第ニ次世界大戦末期、医師・肥田舜太郎は広島に赴任していた際に被爆した。そして人々が原因不明の死を遂げていくのを目の当たりにする。後年、日本とアメリカが原爆投下後の調査データや影響を隠匿して…
>>続きを読む「女性にとって世界最悪の場所」と呼ばれる、コンゴ民主共和国・東部ブカブ。女性たちはこの地に埋まる鉱物資源の利権のために、武装勢力から性暴力を受け、恐怖に怯えているのだ。そんな被害女性たちを…
>>続きを読む“RADIUM CITY” DOCUMENTARY FEATURE FILM (c) 1986 BY CAROLE LANGER