140字プロレス鶴見辰吾ジラ

インクレディブル・ファミリーの140字プロレス鶴見辰吾ジラのレビュー・感想・評価

4.3
【理想と現実】

前作から14年。
あのスーパーヒーロー家族が
スクリーンに帰ってきた!!

まさにインクレディブル!

前作のラストシーンの直後からのリスタートを切った本作は映像技術的にも心理描写的にもその時代の問題提起にも見事なアレンジを加えての再構築となっている。

前作は「アメリカンビューティー」的なブラックコメディテイストは「ウォッチメン」や「シビルウォー」に通じるスーパーヒーローの能力とその責任に焦点を当てながら現実問題では空虚なロマンチストの中年の危機が寄り添われてきた。今回はヒーロー規制をメディア力によって取り戻させようとする(イニエスタをJリーグに呼ぶ)ビリオネアかつ懐古エゴイストの善意とその裏側で蠢く恐怖の側面を描いている。

アクションに関しては冒頭のリスタート展開となったアンダーマイナー戦のクリアかつ情報の濁流のような演出に既にクラクラ。中盤以降もハイスピードチェイスや摩天楼をスパイダーマンのごとく切り裂くゴム人間ママのスタイリッシュにゾクゾク(イラスティガールはエロいぞ)。そして空間転移能力持ちの新キャラの登場に奥行き以上の奥行きのアクションが堪能できるヴァイオレットとヴォイド戦もキレキレ。

アクションは物量と巨大物体とのアンサンブルとなるが着実に前作の韻を踏んでいる。ブラッド・バード流のガジェットアクションのつるべ打ちはバランスなのか抑制なのか続編のジンクスの壁は感じるものの、アクション以上にヒーローの精神性を家族というミニマルな落とし込んで苦悩させ、そしてメディア展開への恐怖性を巧妙に際立たせている。

ヒーローアクションは妻ヘレンにかなりの尺を持っていかれ、家事に子育てと自ら家族という社会集団の責任に囚われたボブ視点で見るイラスティガールの活躍をTVで見るシーンが印象的で、昨今のスーパーヒーローで女性解放というテーマに追いやられた哀しき男の受難が垣間見られる。まさしくメディア先導による女性ヒーローの演出を揶揄しながら家庭と責任に囚われた男ヒーローの不眠症の窶れが愛しい。

前作に続き能力を持たない者のエゴがヴィラン化していく背景を描きつつ摩天楼をヒーローがキリサイテイク場面でヒーローの活躍に浸っている受動的平和喫煙者の我々に突きつけられるボディーブローのようやメッセージが印象的だ。

ヒーローの責任の抑圧による囚われの日常が色濃く映るので、ジャックジャックのハイパー能力は売るための演出でしかなく大衆映画的な先導に対してもメッセージを孕ませつつコメディ性において機能させているのでお偉方の検閲を縫いながら帝国に反乱せんとするブラッド・バードに脱帽である。

今やヒーロー映画が一流ブランドとなった14年後の業界において、一歩リードしたテーマを打ち出した前作の魅力を物量で楽しませる傍らで、メディアによってヒーローがブランド化された昨今において、富や頭脳や血筋すら追い付くことのできない本来弱き者に付与された才能=スーパーパワーへの本質的執着を実はピュアに前作→本作と再構築しながら描き続けているのだと思った。