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死の谷間のyoshiのネタバレレビュー・内容・結末

死の谷間(2015年製作の映画)
3.6

このレビューはネタバレを含みます

神はアダムとイブを楽園に住まわせ、そこを耕し、守るように言いました。
そして、園の木から木の実を取って食べてよいが、善悪の知識の木の実だけは食べてはならない、食べると死んでしまう、と伝えました。

しかし、蛇が現れ「実を食べても決して死ぬことはない。それを食べるとかしこくなる。」とイブを誘惑します。
イブは実を食べ、アダムにも渡したので彼も食べてしまいます。

アダムとイブは善悪の木の実を食べたことにより、善悪がわかるようになり、自分たちが悪を犯してしまったことを知りました。
神は二人をエデンの園から追放しました…。

多分、この映画が言いたいことは「旧約聖書」のアダムとイブ、そして楽園追放の話そのままだろう。
鑑賞後に真っ先に思い出したのは、この聖書の逸話だ。

「善悪の知識の木の実」とは、人間のエゴだ。
自分にとって良いと思うモノこそ、人間にとって「正義」であり、自分を脅やかすモノは「悪」であるという都合の良さ。
それがエゴイズム(利己主義)であり、この映画のテーマだ。

このシンプルな話の新しい角度の解釈に、ジワジワと道徳感が揺さぶられた。
この状況下で自分ならばどうする?と。

私はいい歳をした初老の男性なので、この映画におけるアダム、ルーミス(キウェテル・イジョフォー)に同調して鑑賞した。

終末後の世界というSFな設定だが「マッドマックス」のような生き残った人々の資源の奪い合いも無ければ、「アイ・アム・レジェンド」のような新生物の脅威もない。

山奥の谷間という非常に静かで牧歌的な環境でのドラマだ。

「偶然出会った見知らぬ男女が共同生活をする」という究極な状況といえるかもしれない。
もし、無人島で男女が三人だけにだったらどうなる?という状況に似ている。
人類誕生の話に擬えた設定なのだが、人類の再生の話でもあるのが皮肉で面白い。

人類は核兵器による放射能で滅亡の危機に立たされていた。
文明は崩壊し、電力やガスといったライフラインも機能しなくなった。
そんな中で岩壁に囲まれた谷間で暮らすアン(マーゴット・ロビー)は放射能汚染から逃れることができた数少ない生存者だった。
(余談だが、野暮な服装とスッピンだったため暫く彼女だと気が付かなかった。)

ある日、アンのもとに放射線防護服を身にまとったエンジニアのルーミス(キウェテル・イジョフォー)が現れる。
ルーミスは汚染されているとは知らず、滝の水を浴びてしまい、アンに看病をしてもらったことで一命を取り留める。

その日を境に二人は一つ屋根の下で暮らし始め、厳しい冬を越すために滝を利用して水力発電機を作ることにする。
しかしそれにはアンの父が作った思い入れのある小さな教会を取り壊し、木材を集める必要があった。

信仰心の強いアンはこれに反対したが、生存のためには仕方のないことだった。
やがて二人は一緒に時間を過ごしていくうちに親密になり、肉体関係を持とうとするまでに至る。

しかしルーミスは(命の恩人であり、娘ほど歳が違うアンと肉体関係を持つのは、いい歳をした男性ならば、誰でも罪悪感がわく…)お互いの関係性が変わることを恐れ、時間をかけてお互いを知っていこうと提案する。

自分をなかなか抱こうとしてくれないルーミスに落胆するアンの前にある日、若くてハンサムなケイレブ(クリス・パイン)が現れる。
ケイレブもまた数少ない生存者の一人だった。

ルーミスは放射能を浴びているケイレブを追い返そうとしたが、不憫に思ったアンが彼を家に泊めてあげようと言い張り、三人は一緒に暮らすことになる。

一応、核による放射能で人類が滅びようとしている、といったSFチックな設定にしているものの、人里離れた山奥が舞台で、絵的にも雰囲気にもあまり危機感や絶望感が感じられない。
(そもそも、山奥だから放射能の影響が無いという状況には無理があるが…そこは目を瞑ろう。)

家を出て行ったきり帰ってこなくなった家族を待ちくたびれた孤独な若い白人女性。
優秀なエンジニアである中年の黒人男性。
若く美しく、逞しい白人男性。

ようやく出会った人類の生き残り同士、支え合い(ある意味、仕方なく)三人で暮らすことになる。
ドラマはこの状況下で、果たして女性はどっちの男性を選ぶのか?
物語は三角関係の恋愛ドラマの方向に傾く。

欲望に流されることを拒み、なかなか自分を抱こうとしない中年男性。
美しく元気溌剌の若い男とどっちがいいかと言ったら、種の保存のために、女性は本能的に若く、美しく、強く、逞しい、優位性と生命力溢れる遺伝子を選ぶに決まっている。(モテない男の偏見ですが)

そんな展開は読めてしまい、意外性はない。
問題はアンがケイレブに抱かれた後だ。

ルーミスの存在価値が無くなるのだ。
エンジニアであるルーミスは水力発電機が完成した暁には、明らかに邪魔者となる。
ルーミス自身がせっかく見つけたこの安住の地で、その立ち位置を維持するには?

ルーミスの中に、ケイレブへの殺意が生まれる。
保身のためのこのエゴこそルーミスがアダムであることの証明。
文明人として善人であろうとしたアダム=ルーミスは殺意という悪を知る。

聖書と違い、アダム(ルーミス)は既に文明という「知恵の実」を食べてしまっている。
食事で神への祈り捧げない場面に象徴されるが、文明の力を信じ、神の存在を否定する科学者に多い無神論者だ。
そして、核戦争により文明という楽園を既に追放された者だ。

イブであるアンも水力発電機という「知恵の実」のために、これからの世界を生き残るために自らの心の楽園である父親の作った教会を手放す。

そこに蛇(ケイレブ)が現れる。
ケイレブは「性の快楽」という「知恵の実」を2人の前にチラつかせる。
ルーミスとの狩りの最中に「アンを賭けよう」と嫉妬のスパイスを振りかけ、その魅力のままにアンを抱き、抵抗できない快楽を与える。

聖書で蛇が現れ「実を食べても決して死ぬことはない。それを食べるとかしこくなる。」とイブを誘惑するが、アンはルーミスに対する罪悪感を知るのだ。
聖書の通り「善悪を知る」のである。

ルーミスは、その後に「善悪を知る」。
水力発電機が完成の際、滝の上で足を滑らせるケイレブを…滝壺に落とす。
(ハッキリと映し出されてはいないが)

かくして禁断の知恵の実で善悪を知った2人の楽園(放射能を免れる谷間の土地と2人の関係)はそれまでと違い、輝きを失う…。

ラストはルーミスの中の人間的なモラルより、性を独占したい動物的な本能や、保身のためのエゴが勝ってしまう。
私もルーミスと同じ行動を取るかもしれない。
世界に女性がアン1人ならば…。
安住の地がそこしか無いのならば…。
鑑賞後の余韻に、ジワジワと自分の道徳感が揺さぶられた。

しかし、アンはルーミスを愛していると言いながらも、なぜ無抵抗のまま、ケイレブに抱かれたのか?

ケイレブの魅力に抗えなかったというだけでは説明がつかない。
そこには性欲の発散を、優秀な遺伝子を残そうとする本能のせいにした女としての生き残りを賭けた計算高さを感じる。

今後、もしケイレブの子を妊娠して産んだとして、この2人は幸せな家庭を築けるのだろうか?
これから続くであろう自分への愛を裏切った女との生活。
楽園から追放されるよりも居心地の悪さを抱くだろう留まる地での未来。

世界を滅ぼした国家であろうと、個人であろうと人間のエゴイズムというモノは浅はかで醜い。

低予算な静かな小品であるが、練られた脚本と演技巧者のおかげで飽きずに見ることができた。
映画で語られるその後の物語もいろいろと想像できる懐の深さがある佳作だと思った。
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