孤独な天才、というか、天才とは孤独なものかもしれない。天才は、今の常識では理解されにくい。だから後世になって賞賛されるのではないかと。
天才贋作者のマーク・ランディスのドキュメンタリー。彼は30年間に渡り、全米20州、46美術館に自分の贋作を寄贈する。無償なので、悪いのはそれを受け取り、展示した美術館。彼は罪に問われない。
普通、贋作者の目的はお金だ。何故、彼はそうではなかったのか? 彼にとって作品のコピーは、孤独を癒すことであり、コピーこそが彼の人生そのものだったからではないかと。
8才から絵画のコピーを始めた彼にとって、コピーは寂しさを埋めるためであり、両親、特に母親に認めてもらいたいがための手段ではなかったのだろうか。
美術館への寄贈という“慈善活動”は、変人扱いされ「親切にされることがなかった」彼の、やはり孤独を癒すためではないかと。
映像の記憶が細部に渡って残り、いとも簡単に摸写をする彼の能力は、まさに天才。その能力を十分に発揮できるのが、オリジナルの完璧なコピーだった。自分の能力を発揮したいと願うのは誰でも同じだろう。
作品を通じた自己表現を芸術と呼ぶなら、彼の贋作もまた芸術のように思える。だから後半の展開は、必然のように思えたけど、理解はされないようだ。
オリジナリティが、唯ー無二のことを言うのであるなら、彼の能力、それによって生み出されたコピーもまた、唯一無二かもしれない。
そもそも芸術って何? オリジナルじゃないと人は感動できないの? など考えさせてくれる映画だった。
なお、トークショー付きで、美術館の方の話によれば、日本では寄贈すると言われても、入手ルートを調べ、それが不透明なものは受け取らないとのこと。確かに、少しは疑えよ、アメリカの美術館って感じ。
そのせいか、アメリカの美術館から作品を借りるときは、契約書に「贋作が入っていないことを保証しない」みたいな文言が入っているとのこと。実は贋作を見て、感動してるのかも。