140字プロレス鶴見辰吾ジラ

セトウツミの140字プロレス鶴見辰吾ジラのレビュー・感想・評価

セトウツミ(2016年製作の映画)
4.5
日常が虚構を凌駕する!

今作には
凶悪怪獣も超巨大UFOもサメもゾンビもセガールも、テロリストも殺人鬼もミュータント戦士も出てこない。
川沿いの日常風景と密接した配置の石段で2人の男子高校生が飽きもせず駄話をグダクダと垂れ流すだけのただそれだけの映画。

ギャグセン、ギャグセンとスクールカースト上位生が口にしたがるくだらないワードと対局にあたる駄話を漫才コンビのように絶妙なテンポで織りなす言葉のストーリー。

カースト下位であり、キラキラした汗のほとばしる、恋に恋する青春ではないが、誰もが理想とする駄話を永遠としていたい友との時間を画面いっぱいに肯定してくれる素晴らしい映画に仕上がっている。
※ウツミにとって塾までの暇つぶしという単なる箱庭構図でなくそこに限界点も存在するため刹那的な心の拠り所としての暖かい空間でもある。

それでは延々と会話をすれば…
違います!
今作の言葉を引用すれば
「メガネしてる相手を引っ叩く際に、メガネが飛ばないように気を使い当てに行く」ような繊細な気遣いと計算による会話劇になっているがゆえ気がついたらランタイムの途中で時計を確認することなく気がついたらエピローグになっている没入感が味わえる作品になっている。

駄話でありながら、会話の端々に垣間見える互いの家庭の闇。瀬戸は大っぴらに家庭の不和を語るもウツミは語らずもこの川沿いを逃げ場にしているであろう気味の悪さとウツミが瀬戸に絶対的な信頼を置いていることが、この優しい世界が彼らの日常の不和を忘れさせてくれる隠れ家的な絶対領域として成立している。

バンドなんて始めなくて良い
放課後駄話タイムに花を咲かせる絶妙なまでに高揚させてくれるユートピアがそこにある。ゆえに永遠と2人を見ていたいという憧れが推進力となっているのだ。

かと言って高尚なものでなく、食べ物で言えば”お魚のソーセージ”のように何本だって食べられるような立ち位置をずっと続けられるモノになっている。

樫村という中条あやみの演じるウツミに気のあるヒロインが出てくるも、それ以上に2人の領域の絶対的空間に弾かれる様は安心と高揚感を感じさせてくれる。早歩きのウツミに追いつこうとしても追いつけない樫村さんの可愛さと裏腹に顔の異世界感のある中条あやみの特徴がエイリアン感を醸し出し、日常を侵略するエイリアンに対して2人の友情で世界を救うかのような感覚も味わえたりするわけだ。
「(煩わしい集団生活からの)独立記念日おめでとう」と称賛の拍手を送りたい。

青春映画よ!これも青春だ!!