140字プロレス鶴見辰吾ジラ

アイリッシュマンの140字プロレス鶴見辰吾ジラのレビュー・感想・評価

アイリッシュマン(2019年製作の映画)
4.3
【青春から墓場まで】

MCUシリーズをテーマパークだ!と揶揄したマーティン・スコセッシの新作は、ロバート・デ・ニーロ、ジョー・ペシ、ハーヴェイ・カイテル、そしてアル・パチーノを集結させ、「エンドゲーム」よりも30分も長い209分の大ボリュームのマフィア映画を仕掛けてきました。

連続ドライブのように落ち着き払った彼らの成り上がり青春と没落、映画としてパッケージングされた喪失とその先まで。決してハイテンポでもなく爽快感もなくアンチカタルシスとして裏社会に我々を付き合わせたのは何故なのでしょうか?

それは「生き方」と「日常」であったように感じます。オールスター映画の様相を呈した本作は、アイリッシュとイタリアン含め人種のるつぼとなったアメリカという国、そして度々がなりたてられるユニオンや連帯というワードから、複雑な環境下で生存戦略を学んだ彼らの物語だっただからだと感じます。デニーロ演じる主人公は抑え気味。主人公としての成り上がりはあるもどこか時代の一部としてしか描かれていません。アイリッシュであり、イタリアンとの絡みから彼が生きる術をマフィアの掟から学んで、それをそのまま墓場まで胸に抱えて生きていくのは、「沈黙 サイレンス」にも通ずる宗教観であり生き方です。宗教性は否定されていながらも「日常」を「生きる」からこそ自身に芽生えた信念がときに自分を助け、ときに家族から距離を置かれることとなります。娘をドン引きさせる店主への暴力シーンが割とコミカルですが、笑っていいのかどうか…

作風は重厚さからポップ&コミカルに上昇していき、青春の喪失となるある殺しへと向かわせる宿命の一連で、真綿で喉を絞める苦しさを感じます。本来ならば喪失で物語は終焉ですが、「日常」である本作は、ベテランキャストのオールスター映画というパワーを排して、ベテランキャストの老人ホームムービーへと最後の力を振り絞らせます。喪失が心のモノでなく物理的な死でもあるラスト周辺は、もはや自己宗教で完結できる主人公の終活ムービーとなります。それはスコセッシの集大成でもあり彼なりの生存戦略の投影だったようにも思えます。多くを作品とスコセッシの経験として重ね合わせて捻り出した部分もあると思います。

これが裏社会で「生きる」なのだと、悶々とケツの痛みを感じる我々を尻目に進行するストーリーの幕引きがきちんと閉められていないドアの隙間から見えるところは、手に入れそして失っていった彼を取り巻く環境から得た生存戦略の成れの果てのようで切なくそして意義のある209分間なのだと映りました。

疲労とケツの痛みと引き換えの傑作であるのだともはや錯覚か本心かもわからぬくらいに生きさせられた映画体験でした。