朱音

ルームの朱音のネタバレレビュー・内容・結末

ルーム(2015年製作の映画)
4.3

このレビューはネタバレを含みます

親にとって、子供は守るべき存在であるが、同時にまた、親にとっての子供は救済でもある。本作はそんな普遍的なテーマを、非常にトリッキーな物語設定と、前後編の二段構成で描いた作品である。


ふたつの再生の物語。

ジャックにとっては、いままでの環境、まるで押し入れの中のような狭い、しかし安心を感じる閉じられた空間、そしてママだけしかそこに存在しない世界こそがすべてだ。
「部屋」で生まれ、食べて、眠って、笑い、泣き、時には怒ってきたジャックにとって、世界はその中で完結している。ジャックにとっての「部屋」は私たちにとっての地球と同じだ。
脱出によっていままでとは全く異なる世界に放り出されるジャックは、例えば、現代文明を拒絶して自然とともに生活する未開部族の人を、ビルが乱立する都会に連れてきた場合と多くの点で類似する。象徴的には新たな誕生といえるだろう。
物や情報が際限なく溢れ、忙しい人々の中で、彼はどのように感じるのか。
気がかりなのは「部屋」で過ごした母親との幸福な時間よりも、本当に外の世界の方が、ジャックにとって価値があるものなのかという点だ。

この問いかけに対する答えは単純ではない。しかし直感的には明確で、ジャックやジョイが歳をとることは避けられないし、元々、「部屋」はオールド・ニックが作った不安定な世界であり、オールド・ニックの思い通りにならなかった場合、あるいは彼が年老いたジョイに執着し続けるのを辞めてしまった場合、放置されるか抹殺されてしまうだろう。それこそ、オールド・ニックのふとした気まぐれでジャックの「部屋」、即ち世界はたちどころに破壊されてしまうのだ。
年月の経過により起こり得る変化は恐ろしい結末以外考えられない。それ故、脱出以外の選択肢はあり得ないのだ。

二人が保護された病院の部屋は高層階にあり、清潔で窓が沢山ある広い部屋だ。朝、ジャックが先に眼を覚まし、まぶしい昼間の光の中、ベッドから降りようとしてツルツルのリノリウムの床にそっと素足が触れる場面がある。
このシーンは前半と後半の分れ目で、まるでSF映画の新たな人類の誕生の様に非常に印象的だ。

物語後半では「世界」に順応してゆくジャックを通じて、彼の「部屋」からの分離、独立、新たな価値観との出会いが描かれてゆく。


元々、リレー・チームのアンカーをつとめ、勉強家の優等生(原作出典)でもあるジョイは、精神的にも強い人間だ。そんな彼女をしてさえ、7年間にも及ぶ監禁生活がどれ程の痛苦であったのかは想像だに出来ない。そんな彼女にとって、絶望の監禁生活の2年間を過ごした後に生まれてきたジャックは生きる糧となる。母親としての責任感や使命は、監禁生活の中でいかにジャックを健全に育てるかに集約され、食事、勉強、運動、掃除、洗濯、入浴と、ストイックなまでに、毎日、毎週、毎月、毎年、決まった日課をこなす日々が続く。
これは彼女にとってのサバイバルなのだ。

毎週決まった時間にやってくるオールド・ニックに対しては、ジャックを守るためだけの機械的な対応をしているが、本来人間が受容出来る苦難をはるかに超えたその仕打ちを受け続ける彼女は、表情の変化が乏しく、度々"抜け殻"のようにもなってしまう。こうしたママが度々"抜け殻"になる状態をジャックも認識しているわけだが、初めてジョイがジャックに「外の世界」の話をした際に、理解のキャパを超えた彼に拒絶され、どうしても分かってもらえない場面、その直後に彼女は"抜け殻"になるのだが、そのシーンがあまりにも複雑な感情が交差していて切ない。

ジャックの5歳の誕生日、オールド・ニックは彼へのプレゼントを持参し、ジャックとオールド・ニックの、互いの好奇心が、今までジョイによって守られていた2人の間の隔たりを壊してしまう。2人は接触し、母と子のルーティンは崩壊する。
それと同時に、オールド・ニックが失職し、収入がなくなっていた事が発覚する。このままいけば食料の調達はおろか、オールド・ニックは自分たちに何をしでかすか分からない。もともと不安定な「部屋」での生活に、より顕著に、危うさが増してきたことを察して、ジョイは脱出計画を実行しようとするのだ。

無事脱した外の世界も、全てが正常な訳ではない。
元々、彼女が誘拐・監禁されたのは、外の世界に属する犯罪なのだから。

ジョイの目的はジャックを守ること、それがこの5年間においての彼女の全てだった。そのために正気を保ってきたといっても過言ではない。だがそれが実現された後のことを、自分自身がどうなるかについては、彼女は何も考えていなかった。

これには3つの意味があって、ひとつには彼女とジャックの物語は恐らく全米中の耳目を集め、大ニュースとして取り上げられる事となることと、
ふたつめは彼女が不在であった内にニューサム家の内情が変わり、母はレオと再婚し、実父であるロバートは既に家を離れて生活をしていること、そして、みっつめは、彼女自身が深刻なPTSDを患っていることだ。病室で担当医がジョイに向けた言葉を思い返してほしい、あれは2人にカウンセリングを受けさせるという提案であったのではないだろうか。一刻も早く家に帰りたかったジョイはその申し出を断っているのだが、本来は彼女やジャックにとって、必要なプロセスであっただろう事が後の展開でもよく分かる。

昨今の腰砕けのマスメディアが、これ程不躾な質問をするとは考えにくいが、このインタビューで記者から浴びせられた質問によって、彼女は自責の念にかられ、「部屋」にいた時のように再び"抜け殻"状態になってしまう。
やがて耐えきれなくなった彼女は自殺を図り、ジャックによって発見され、病院に搬送される。
家に戻ってきた彼女は、外で友達とボール蹴りをして遊ぶジャックを見て微笑む。ジャックの順応を、彼が、普通の子供として再出発を遂げていた事を、彼女は再発見し、なんとかもう一度生きる糧を見出すこととなる。

ジャックは(自分の事だけでなく)「Pick for the both of us (二人のための決断)」をちゃんとして!と彼女に言う。これは脱出計画を遂行するために彼女がジャックに向けて言い聞かせた言葉であり、つまり、ラストでは2人の立場は逆転しているのだ。


2人はかつての「部屋」を再訪する。
ジャックにとっては「世界」のすべてであったその部屋は、いまの彼の視点で見ると、とても狭くて小さな部屋にすぎない。
一方でジョイにとっては、記憶から消したい陰惨な過去の象徴だ。
ジャックは冒頭と同じく、そこにあるすべての家具にむかって「さよなら」の挨拶をする。そして、ママに向かっても言うのだ「部屋」とお別れして、と。
ジャックにとっての、「部屋」からの自立を意味する、この言葉がジョイにとってどれ程の救いになったことだろう。彼女は「バイバイ」と口にし、ジャックの手を取ってその場を去ってゆく。彼女の再出発はこうして始まったのだ。

この時に、これまでずっと2人に寄り添うような距離感で撮られてきた、そのカメラが上空にふっとあがっていく演出、本当に素晴らしい。初めて映画の物語が「部屋」から出た事を象徴する瞬間を、
こういう形で表現したのだ。


それにしても、なんと豊潤で素晴らしい脚本なのだろう。『部屋』の原作者であるエマ・ドナヒューが脚本を務めたこともあり、原作からのアダプテーションが逐一的確なのがこの映画の完成度を物語っている。
原作から変更された点、または原作から省略された点などいくつかある。
大きな変更点として、そのひとつに、ジャックがばぁばに髪の毛を切ってもらった後、彼女に向かって「I love you grandma」という場面だ。
原作ではこの台詞はない。ジャックとジョイの間に「Love」という単語が使われていなかったし、ジョイがジャックに愛の概念を教えるシーンもなかったので、些か唐突で、映画の一貫性から考えると不自然にも映るシーンではある。が、ジャックが母親以外の人に特別な感情を抱く=母親への依存を乗り越えた独立心を表しているシーンで、映画の中では、ばぁばと共に不意を突かれてウルッときてしまうシーンになっている。私はこの改変は、ありだと思う。


後は、注目すべき細かなポイントとして、英語でオールド・ニック(Old Nick)とは悪魔の意味である。原作からのアダプテーションとして、ジョイはジャックが産まれる前に男児の死産を1回、女児の出産直後死亡を1回経験している。オールド・ニックは部屋のすぐそばにその死体を埋めており、ジャックが入ったカーペットを抱えている時にそこで立ち止まるのはそのためで、ジャックもここに埋めようか、と考えていた瞬間なのだ。まさに悪魔の所業であるが、流石に映画でそれを再現するのは偲ばれたのであろう。
またひとつの親子の物語として的を絞ったのも、映画の尺を考慮すれば妥当性があるし、本当に伝えたいメッセージを表現する為にもやはり適切な改変と言えるだろう。

ジョイがジャックに語って聞かせる物語は、1844年から1846年に渡ってフランスの当時の大手新聞のJournal des débats(ジュルナル・デ・デバ)に連載されたアレクサンドル・デュマ・ペールによる小説『モンテ・クリスト伯』いわゆる"巌窟王"であり、無実の罪で14年間牢獄に監禁されたエドモン・ダンテスが脱獄し、復讐を果たすという執念の物語だ。


さいごに、
監禁と聞くと、ジャンルとしてのスリラー映画を連想する人がほとんどじゃなかろうか。犯人によって外界から隔離されてしまった被害者が、どのような酷い目を受け、どうやってそこから脱出するかというカタルシスとサスペンス。それが一般的な連想される内容だろう。

だがこの『ルーム』は、監禁事件を題材にした話であるが、暴力的で残酷な描写をあえて避けた作りになっている。監禁された部屋からの脱出というサスペンスは一応あるものの、話のメインは「部屋」を出た後の生活だ。

この映画では親と子の関係や子育てがテーマとなっており、共感しやすい作品だ。子を持つ親の立場であれば、この物語が真に何を意味するのかが見えてくるかもしれない。誤解を恐れずに言えば、ある意味、育児とは監禁だ。子供を産む前と産んだ後とでは生活の自由度に歴然とした差があるはずだ。全て子供中心に考えないといけない。何をするにも子供が最優先であり、親の自由など、最も先に切り捨てられてしまうものだ。

それを踏まえて本作を改めて振り返ってみる。監禁ものスリラーとの決然たる違い。親と子の関係に重きを置いた作劇、そう、この映画でいう"監禁"とは普遍的な子育てのメタファーでもあるのだ。
朱音

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