新潟の映画野郎らりほう

ぼくのエリ 200歳の少女の新潟の映画野郎らりほうのレビュー・感想・評価

ぼくのエリ 200歳の少女(2008年製作の映画)
4.6
【雪の様な清浄と、噎せる様な性の蠱惑】


主人公男児は初登場場面からパンツ一枚で、その後も華奢な体躯を曝し続ける。 着衣では女児と見紛う長髪華奢中性な彼を、私はそのブリーフによって男児と認識する。 ~筋肉は未発達、下着にはペニスの脹らみすらない(まだ男性ではない)男児と…。
その彼の家庭は父不在である。 たまに約束し交歓ある事が描かれるが、父には「別の男の影」が覆っている…。
12歳-同い年に設定された少年少女。 繰り返されるトレーニング。 少女の持つ血の表象-少年の戸惑い-少女の羞恥。 恐怖と好奇心-大写しされる女陰。 そして少女の台詞『私は女の子じゃないのよ』…。


~一般に第二次性徴は女児に早く訪れる。 血の表象と羞恥は月経。 女の子の否定は「女」である事の示唆か。
少年は父の「男らしさ」を見る事無く育った故に、周囲男児達と比較しても特に性徴が遅れている。 精通(初めての射精)すら未だな男児の目に「女」は奇異・恐怖・未知、そして「モンスター」として映ったか…。
それでも惹かれ 湧く好奇は無意識的性欲動の高まりか。 トレーニングは男らしさ=マッチョの無意識的希求か…。

「本人が未だ気付かぬ性の訪れ」=第二次性徴直前・最後の清浄期にいる男児に、ポルノグラフィアと見紛う惑溺的テーマを しかし禁欲且つソリッドなメタファーとして落とし込んだ『射精とゆう完結肢を持たぬイノセントエロス・ラブロマンス』。


雪の様な究極的清浄性と 噎せ返る様な性の蠱惑が、少年少女の孤独をより哀切に どこ迄も耽美にしてゆく…。




《DVD観賞》