小松屋たから

カルテル・ランドの小松屋たからのレビュー・感想・評価

カルテル・ランド(2015年製作の映画)
4.6
「…」。観終わってしばらく声が出なかった。そして、本当に純粋なドキュメンタリーなのか、思わずエンドロールを何度か見直して確認した(よくわからなかったけれど)。

メキシコの医師ミレレスは、町で暴虐の限りを尽くす麻薬カルテルに対抗するために、自警団を結成。一気に市民の支持を得て勢力を強めるが… 一方、アメリカ・アリゾナでは一人の男が国境で麻薬と移民を阻止するためこちらも自警団を結成。しかし、彼の行動動機も純粋なのかどうか。

ヒーローは転落し、ナンバー2は寝返り、「正義」の組織は闇に呑まれていく。国家も警察も犯罪組織も一般市民も同じ渦の中を回り続け、抜け出す道筋がどこにも見当たらないという、生半可なフィクション映画や演劇ではまったく敵わない圧倒的な絶望感。

そして、出てくる人々がまるでキャスティングされた俳優かのような「嵌っている」キャラクターばかり。

なぜ、この絶妙なタイミングで撮影を始めたのか、なぜ、ここまで対象に入り込んだ映像やコメントが録れているのか、いくらなんでもすべてが出来過ぎじゃないか、とか、色々考えて、ひとつ気づいたのは、みんな、自分の言動を「撮られたがっていたんだ」ということだ。

アメリカ側の人物が「ようやく君たち(メディア)が取材に来てくれた」と言う場面があるのだが、それはメキシコ側の人物たちにとってもきっと同じで、彼らは役者ではないが、ある人格を演じるように生きていて、カメラの前で自己アピールできることに喜びを感じていたに違いない。

だから、「良い」場面が撮れたのはすべてが偶然ではなく、ある程度、必然だったのだ。今日はカメラが回っているからこういうことを言おう、やろう、みたいな。

こう書くと、映画が、何か間違ったきっかけを作ったかのように思われるかもしれないが、そんなことはなく、いずれ必ず起きる&起こすはずだった出来事を彼らが撮影に合わせた、ということだろう。もしくは過去の事実をやらせという意味ではなく「再現」したか。

ただアメリカ側の人物の描き方はやや中途半端に感じた。そこに何か作り手側の主義主張があるのか、単に事実に即しただけなのかは判然としないが、まずは、それも含めドキュメンタリー、かくあるべしというかなんというか。

相当な残酷描写もあるので、決して広くお勧めはしないが、間違いなく観る価値のある作品だと思いました。