最高に"ポップ"で"シビア"だと思った。
柔らかい日差しに照らされた ふんわり長い髪と 無垢な素足たち 耐えない笑い声。
囲いの中で 美しく、儚い少女たちは、
缶に詰められた美味しそうなクッキーのよう。その蓋が開くのをひたすらに待ち続ける。
厳格な伝統文化意識の残る街で、不釣り合いに輝くしかない彼女たちの
溢れる若さと美しさ。
5人の姉妹が進んだ道には、
どのような意味が込められていたのだろう。どのように私たちは受け止めればいいのだろう。
全体的に、この作品は 未だに蔓延る差別的な伝統社会への批判だ。
何にも囚われない、「裸足("mustang")の季節」を過ごしていた眩しい少女たちが、
社会の規律によって"サイズの合わない靴"を履かせられ、無理に歩かされるような状況は
見ていてとても苦しく、耐え難い現実。
またその社会を批判的に描写するために、わざと滑稽に描いたシーンがみられたのも 皮肉である。ある意味それは強い非難の表れかもしれない。
だが ここで私がふと思ってしまったのが、
「果たしてこの厳格な伝統社会を取り壊すことが正解なのか」
ということ。
何言ってんだ、こんなのを見せられたら当たり前だろう と確かに思う。
でもそれは このような現実が、世界にはあるのだというのを知る機会ではあるが、一種外部である私たちのような人間が一方的に非難できることじゃない とも思う。
私たちが「ひどいからやめろ」と言うのではなく、非合理的ではあるけれど、その社会の人々との対話でもって考えるべき未来(解決策)だと思う。
現に、5人姉妹がみな最後まで不幸に苦しんだかといば違う。それなりに幸せを見つけた者も ちゃんといるから。
その上で、私はラストの展開は その"対話"への第一歩としての希望だとみたい。
社会の負の面を知る その土地の人間が 対話を与える一手となればいいと思う。
伝統という束縛と、自由という解放の狭間、、、他文化と自文化の間に投石される"差異"の認識。それに苦悩せざるをえない。
なにはともあれ、興味深く、時に心地よく 美しくも、苦しくてどうしようもなく 不安定さに囚われ続ける作品だった。それには間違いない。