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Summer of 85のMTMYのレビュー・感想・評価

Summer of 85(2020年製作の映画)
3.8
試写DVDにて。

1985年夏、フランス。あわや海難事故寸前のところを助けられた16歳の青年アレクシ(アレックス)と、彼を助けた18歳の見知らぬ青年ダヴィドとの、刹那で情熱的で残酷な6週間。運命の出会いと、永遠の別れ。その瑞々しい記憶を綴った、アレックスのひと夏の物語。
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はじめに言いますが、とても興味深い作品です!ぜひみなさんには、いろんな先入観はとっぱらって、観ていただきたい。
夏、爽快な風、黄色い文字、ラヴストーリー、そんなポスターを見て、またまた〜きっと夏の淡い青春ものに違いないなあ、と思っていた人は、

「これから語る死体について興味がなければここでやめとけ」

そんな冒頭の突然なサスペンスフルなセリフに思わず「へ?!」と背筋が整うこと間違いなしだと思います。
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監督が17歳(1985年)の時に読んだYA小説「おれの墓で踊れ」(私は未読)を約35年の時を経て映画化した本作。80年代のファッションや、The Cureなどの当時のカルチャーを代表する音楽、時代感を映し出す16mmフィルムでの撮影など巧みな演出も見所です。
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まずこの映画を観終え、「これはいわゆる純恋愛物語ではないのでは?!」と突っ込まざるをえませんでした。

愛の話には違いないですが、「人と人が愛し合うこと」というよりも、「愛とはどこから生まれるのか」を問うような哲学的な作品に思えます。

そのわけは、この作品の中でも「アレクシの持つ死への興味の真意」、「愛の定義への答え」、「過去を執筆するという真偽性」が複雑に絡んでいるのでは?と思わされたせい。
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以下ネタバレ含むので、ご注意ください


ちなみに、同監督の『サマードレス』に出てきたワンピースが出てきた瞬間に「うぉ!」ってなりました。ああいうの、あついですね。


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もしこの作品を見てなんか切ない、85年にこんな同性愛の作品があったなんて!と感動して終わるような方がもしいたら、よければこの自己満足な考察も合わせて読んでほしいと思います。
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【本作の生死観】
アレクシは、僕は死に興味がある!と断言しますが、『ハロルドとモード』のような”死にたい要素”や、ジェフリーダーマーのような”シリアルキラー要素”もなく、言われなければわからない程度の非常に”クリーン”な青年に描かれます。
豪華な棺のような風呂に入って恍惚としたり、自部屋の壁には古代ピラミッドの墓の切り抜きや、『ブレードランナー』のルトガーハウアーが貼ってある程度。

>そういう事からも、彼が本当に興味を持っていたのは「死」そのものではなく、「生があることによって意味づけられる死」の意義だったんだと思います。これが、のちに永遠の別れのシーンや、「俺の墓で踊れ」シーンで帰結し、本作の軸にもなるのではと思います。

ダヴィドの死体をひとめ見ようと遺体安置所へ向かって非常識な衝動に駆られたのも、墓での発作も、それもすべてが変人的な「死への興味」から起きたことではありません。彼が潜在的に自問自答していた「死への向き合い方」の答えがそこにあったゆえだったのではないでしょうか。アレクシ自身もラストではようやくそのことを理解して、人生に対して前向きになる、そんな作品だったのではと思います。
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【愛とは】
あらすじでも読めば書いてあるように、この物語の軸は2人の青年の情熱的な恋愛、ですが、みていてそれが純粋に一筋縄ではなかったとこに気づくと思います。
「この感情は愛なのか」「愛しあうとはなんなのか」
みるみる違えてくる双方の温度差と、決定的な口論の末に、観る側はアレクシに肩入れしてしまうかもしれませんが、そんなアレクシと私たちに「愛してたのは(独占欲の創り上げた)幻想じゃないのか」と本作に水打ちされます。
「こんなはずじゃなかった」と思うならば、そのぶん、叶う確率の低かった期待があったということ。じゃあその期待の根拠はどこから生まれたのだろう?と考えると、人が「愛」に求める概念の不確かさ幻影性、相対性について考えさせられてしまいます。
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【執筆の真偽】
モノを綴るというのはエッセイとなれども100%本当のことかと言われれば相当怪しいものがあります。なんせ四六時中録画したものを書き起こしてるわけではなく、記憶から呼び起こしたものを「真実」として書いているわけなので、記憶していたものが違えば、100はそもそもないです。本作も、アレクシの自供書がメインで展開していきますが、何が本当で創作なのかはよくわかりません。その曖昧性こそ、愛の真偽や記憶と事実の虚構性などを反映する要素でもあるのかなと思います。
(ただ、オゾン監督で文才青年で〜となるとどうしても『危険なプロット』が思い浮かんで自然とサスペンスな展開を予感しちゃったのですがそれは特になさそうでした笑。)
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本作は、基本的にアレクシ目線、アレクシの自供的な執筆内容に沿って展開されるので、他の登場人物の心情はよく汲み取れません。ダヴィドはアレクシを”愛して”いたのか、どうして事故を起こしたのか、など、詳しいことが曖昧なままです。
ただ一つちゃんと言えるのが、ダヴィドとの出会いと結末が、彼の人生観や生死観への気付きに、大きな影響をもたらしたということ。ちなみに、俺の墓で踊れ、だと分かりづらいですが、”Dance on my grave”というのは”Dance on someone’s grave”で他人の死を喜んだりする等の意味の慣用句をもじったものと思います。
実際に墓の上で踊ったのも、ダヴィドとの誓いを守ることだけでなく、アレクシのなかで分立していた死と生が、愛という喜びを持って衝動的に融合した”生きるという美しい瞬間”(少なくとも当事者にとっては)だったのかなと思いました。

もしこれが逆の立場で、アレクシが事故死をしていたとしても、きっとあのダヴィドは踊らなかったなと思うと、ちょっと苦しくなりますが、他人同士の結ぶ愛や契りなんぞそんな甘いものじゃないとオゾンに言われてる気もします。
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やはり、愛の話には違いないですが、「人と人が愛し合うこと」というよりも、「愛とはどこから生まれるのか」を問うような哲学的な作品に思えます。

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みなさまも公開したらぜひ劇場へ。
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