小一郎

ウィッチの小一郎のレビュー・感想・評価

ウィッチ(2015年製作の映画)
4.0
ホラーは苦手だけど、サンダス映画祭で監督賞を受賞したという話題性があったので鑑賞。結構寝落ちしたにもかかわらず、まっいいかと適当な感想を書こうと思ったものの、ウェブの記事の<極上ホラー『ウィッチ』は「アメリカの原罪」を問う>という見出しが気になって2回見た。
(http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2017/07/post-8073.php)

1630年、ニューイングランド。ピューリタン(清教徒)たちによってアメリカという国が形づくられつつあった時代。敬けんなキリスト教生活を送りたいウィリアムとキャサリンの夫婦は、街の人々とトラブルを起こし森の近くの荒れ地へやってきた。

美しく成長した娘のトマシンが赤子のサムをあやしている最中、何者かに連れ去られてしまう。悲しみに沈む中、父ウィリアムは、トマシンが魔女ではないかとの疑いを抱きはじめる。やがて家族は疑心暗鬼に陥り、狂気の淵へと転がり落ちていく。

突然の大音量や驚愕のシーンでビックリさせる要素がないとは言わないけれど、それがメインではなく、恐怖を生み出すのは、欲望を悪として抑圧する人間の心理にあるということだと思う。そしてこの欲望こそがアメリカの原罪ということではないかと。

禁欲的に生きないと神に選ばれず地獄へ落ちるとする厳格なピューリタンの倫理観。それを金科玉条とする一家にとって脅威の存在、トマシン。

彼女の美しい顔立ちや大きな胸の身体自体が、男を惑わす悪魔的な存在。それ故か、母は彼女に厳しくあたり、その欲望を子どもたちの誰よりも強く抑圧し、家族のために犠牲を引き受けさせようとする。

そんな中でトマシンは我慢を重ねてきたにもかかわらず、魔女(自分的解釈は「欲望を我慢できない者」)との疑いをかけられては、我慢する意味がない。必然の展開で、荒唐無稽さがないゆえに怖ろしい。魔女は禁欲そのものの中に存在するかのよう。

いきなりだけど『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(著書はドイツの社会学者マックス・ヴェーバー)という有名な本がある(まともに読んだことはありませんが…)。超ザックリ言えば次のような感じかしら。

一生懸命働くことは神の意志を地上で成し遂げる努力、つまり天命である。稼いだお金を自分のものとせず(禁欲して)再投資に向けることは天命をより推進することであり、神の意志にかなうことである。

しかし、欲望を禁止することと解放することは、神と悪魔のように表裏一体。そして禁止されれればされるほど、欲望は膨らんでいくのが人間の性というもの。天命と禁欲により資本主義を正当化し、経済を拡大してきたアメリカは、欲望という名の原罪をうまくコントロール出来なくなってしまったのではないか。

つまり、トマシンはアメリカそのものである。と、ここまでこじつけて考えると、ラストシーンはニューヨークダウ平均株価と結びつけたくなる。

参考までに『恋愛と贅沢と資本主義』(著者はドイツの経済学者・社会学者ヴェルナー・ゾンバルト)という本もあります(やっぱり読んでないけれど)。アメリカの資本主義がこっちの方からだったら、トマシンは魔女だなんて疑われずにすんだかもしれない。

なお魔女の使いとして黒いヤギに加え、黒いウサギもいたけれど、トマシン役のアニヤ・テイラー=ジョイがウサギ顔だからかも、という説を見て、納得したような、しないような…。ウサギ顔というカテゴリーがあるとは知らなかった…。
(http://www.sanyonews.jp/town/cinema/news_detail/565549/)

●物語(50%×4.0):2.00
・ビックリ、ドッキリなエンタメではない、深い恐怖の物語。案外、好きだった。

●演技、演出(30%×4.0):1.20
・ウサギ顔と黒ウサギ、気になる~。ホラーにしては抑え気味なのも好き。

●映像、音、音楽(20%×4.0):0.80
・雰囲気にあっていて、なかなか良かったのではないかと。