140字プロレス鶴見辰吾ジラ

スイス・アーミー・マンの140字プロレス鶴見辰吾ジラのレビュー・感想・評価

スイス・アーミー・マン(2016年製作の映画)
4.7
”スタンド・バイ・ミー”

笑った、声出して笑った。
泣いた、涙が自然と溢れた。

ありがとう、ただありだとう。
感謝の言葉が湧き出てきた。

冒頭の煌びやかな陽光と自殺の明暗による、ある種の幻のような白昼夢のような語り出しから、漂着した男性の遺体。そして不思議と流れるメロディと白昼夢の相応しくないオナラの音。

諦めて終わりかけていたステージが、可能性を見つけ、そして本来の生存本能のように、そして心の奥底に抑圧していたMAD(ここでは人生においての総合的欲望)が解き放たれ、死体に乗りジェットスキーのように海を切り裂くシークエンスからタイトルである「スイス・アーミー・マン」が絶妙な筆記体で出る一連の流れが素晴らしすぎる。タイミングと不快感と相反する爽快感がその一瞬の波に乗る、ハイエモーション性に声を上げて笑い、そして涙すらこぼれるまでの美しさをもって眼前に飛び込んできた。

”生きる”ことが風前の灯となった男が死体という稀有なモノを使ってサバイバルをしていくという、それはそれは”ゲテモノ要素”主義な映画だと、一瞬その足が止まりそうになるが、会話の中に出てくる下ネタや不謹慎な死体の使用法、そして人の”魂”や”承認”、そして”想い”の奥深さを、文明社会から物理的に阻害された男が、恥や社会性の蓋を取っ払い、野生に、そしてMADに活力をみなぎらせるシーンは、それが幻想のようなモノに突き動かされると理解しながらも、心の旅路としてともにしたくなる欲求をくみ出してくる。

先に”スタンド・バイ・ミー”という言葉を使ったが、これは「ド○泣き」しようのような下品な類の感情ではない。劇中会話の下品さはあるが、この作品の体温によって、流れる涙は我々も、劇中の彼らと心の旅路をともにしているからだろう。スピルバーグの「E.T」のようなエモーションもあるだろうか?ラストカットは品のない絵から想像を超え、対比的な美しさをもっている。