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パターソンのmazdaのレビュー・感想・評価

パターソン(2016年製作の映画)
3.9
パターソンという街に住むパターソンという名の男性の"ある一週間"。
なんの映画も共通して、ある日ある時ある瞬間のことを描いているのだが『ダンケルク』や『桐島部活辞めるってよ』のように"その時"を強調させたテロップをだすことによって、自分が目を向けない視点にも意識をもって捉えることができるこの構成。"monday"が始まった瞬間に、あ、この見せ方好きだってなる。

この映画を観に行くのに電車に乗って新宿まで行ったのだけど、地元の駅の改札のところで、つい最近もう当分会うことはない一生の別れみたいな別れ方をしたばかりの友人を見かけて、近くまでかけよって話しかけようとしたタイミングで、その人は友人にすごくそっくりな他人だったことに気づき、「なんだ、偶然ばったり会ったと思ったのに」とふつふつ思いながら、新宿行きの電車に乗った車内に、なんと先ほどいると思った友人(本物)に遭遇した。それはまるで『メッセージ』の主人公がまだ見ぬ現実が脳裏に薄っすら映るような感覚で、その人に遭遇したであろう状況のことを頭の中で想像していたからとても不思議ですごく驚いた。

そしてその後この映画をみたわけだ。パターソンの内容はほとんど予備知識をいれずに観たのだけど、妻が双子を産む夢をみた話を聞いた後から、主人公はことあるごとに双子をよく目にするようになったというなんとも不思議な感覚を描いていてこれまた驚いた。くるときに友人に偶然会っていなければ、「ああこういう感覚あるよねえ」ぐらいにしか思わない些細なシーンなのにその"偶然"に強い結びつきを感じて、彼が双子に目が止まる不思議な感覚をまるで体感しているかのようなきもちになった。

同じようなことを描くもう1つのシーン、10歳の女の子が主人公に詩を読み聞かせる、それは"水が落ちる長い髪のように"とうたった詩なのだが、その少女と出会った後、自宅に帰ると妻が小さな額縁に滝の写真をいれ壁にかけている。そして夜の行きつけのバーではマスターが「流れに任せろ」という言葉を語る。彼が少女の詩が頭に残ってから、何故か水が関連するようなものが結びつく。不思議だ。
これもやっぱり、私が友人に出くわしていなかったら〜と同じで、彼がもし少女の詩を聞いていなければ、妻が滝の写真をかけていてもそんなに気にならないだろうし、マスターの言葉もそれこそ流れているだろう。妻が双子を産む夢の話をしていなければ、話をしていた時と同じ数だけ双子に出会っていてもそこにあまり意識は向かない。

自分の頭の中に意識的に存在しているものというのは、視覚や聴覚に繋がって無意識に何かと結びつけようとする。私が友人に遭遇したのも、双子の話をしたあと双子に会うことも、言ってしまえばただ偶然が重なっただけだが、その偶然がまるで何かに導いたように思える特別感というのは、偶然に得れる感覚じゃない。

昔飼っていた犬と同じ種類の犬の方が、他の犬よりも目に付いたり、これ今流行ってるよって聞いたけどほんとか?ってくらい初めて聞いたようなものが、その後よく見かけるようになったり、朝占いで言われたことと同じようなことがその日ほんとに起きたり。たぶん頭の中に意識がある以前から、見かける頻度は一緒だった。占いを見ていなくても起きることは起きていた。でも自分の中に印象に残っていることによって、日常の中にあるそれらが浮き彫りになって見えてくるだけだ。それは詩が韻を踏むように、私の頭のなかのものと、普段目にとめない何かを関連させている。この詩的な感覚を言葉ではなく、映像にして伝える。私はこの感覚を頭でしっかり理解したいがために、こうやって言葉にして説明しないと型取れないけど、それを物語という形で視覚的に伝えるこの映画すごいってなった。

私はあまり頭が良い方ではなかったから、難しい言葉も知らないし、簡潔にまとめるのが苦手だけど、国語の授業は大好きだった。作文とか感想文とか、まとめるのが下手だからというのがでかいけど何枚でもかけた。(だから逆に何文字以内っていう制限が苦手)
映画のレビューを書き始めたのも、自分が感じたことを言葉にして並べて整理して結果的にそれを自分が吸収したいからだった。誰かを見て思ったこととか、何かをして感じたこととか、頭にふって薄っすらとだけ浮かぶ言葉をきちんとした言葉にするのってすごく心地いい。主人公の詩はそういうものだった。もちろん誰かに見てもらう価値のある詩だったけど、誰かに読んでもらうために並べた言葉じゃなくて、浮かんだものを言葉っていう形にしたいっていう自分のためのものに近かった。映画を見て感じたことを、知ってる言葉をかき集めまくって表現してる自分にとって彼の心地よさみたいなものに激しく共感できた。

主人公がバスの運転の仕事中、乗客の話が耳に残る感覚もすごくよくわかった。あまりいい趣味とは言えないが、私は人を観察するのが好きで、無意識で同じ車両のまったく知らない赤の他人が話す話を一緒になって聞いたりしちゃうのが好きだ。映画館に来たお客さんが、一緒に来た人と以前映画館に来た時のことや、観たい映画の話をしていたりとか、そこに間違っても口を挟んだりはしないけどうんうんってこっそり会話を聞いちゃうのが好きだ。どうしてまったく知らない人の話に興味が湧くのかはわからないけど、そういう視点でみるとなんの変哲もないはずのその時間がちょっと面白くなる。
いきなり心に響く愛の言葉をかけられたり、何かを思い出しておセンチになって物悲しくならなくても、何もなくたって日常というのはとても詩的でドラマで十人十色で、まったく同じなことなんてない。有名人にならなくてもヒーローにならなくても、そのどうってことない忘れてしまいそうな時間が人生の中でかけがえのない幸福感になったりする。

最後永瀬正敏が演じた日本人と出逢うところがとても好きだった。あれもまたただの偶然で、たまたまで、まぐれという言葉に当てはめればそれまでだが、私は彼が自分で引き寄せたきっかけだと思う。そう思うとわんこがやらかしたイタズラさえも必然だったように思える。そういうのが重なって毎日が構成されてるのかと思うと面白くてわくわくする。
「今日はどんなことがあった?」の問いに「いつもと一緒だよ」と返しても、こうやって一週間を並べるだけで楽しめる映画ができる。人の人生ってこういうものだ。

奥さん可愛かったなー。正直アートのしつこさとかカップケーキとかギターとか、自分のために作ってくれたけどビミョーなパイとか、ちょっとうざめなんだけど、朝起きた時にみる彼女がそれはもうあまりにも美しくて、そういううざいのが一瞬でふきとばされるくらい愛おしいなって感じて毎朝寝起きにキスするんだろうなって思う。
映画はシンプルだけど伝えようとすることがとても濃かった。私の体に心地よさの感覚が焼き付いてる。
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