シャンタル・アケルマン監督作品。
分かるようで分からない彼女らの心情。
ただそれは描写の不明確さではなく、言語化を逃れる豊かなイメージによるものだ。
恋に落ちたい18歳の彼女たちが移動を繰り返す。しかし移動の目的は、魅力的な男性に出会うためとしつつも食欲を満たすことが先行している。なぜ?
本作で登場する男たちは単なる移動手段に過ぎない。車の運転手として彼女らの移動を助けたり、次なる移動のためにベッドを準備するだけの存在だ。そして食事を与える存在にもなり得るが、それは彼女たちの歌う「仕事」の対価といっても過言ではない。また路上で劇的に出会う男たちにはパンチを与える。なぜ?
でも物語が男女のメロドラマにならないことが徹底化させている。それは彼女たちの物語を紡ぐための、安易なステレオタイプに嵌まらないためだと思う。
彼女らの食欲を満たす移動は止まらない。けれどショートヘアの彼女は、食欲に「折り合い」をつけようとする。食欲は一時的に満たされてもおなかは空くし、また欲求が湧いてくるから折り合いをつけなければいけないのだ。その心情と同様に男とも折り合いをつける。彼女はイニシエーションを通して大人に変化する。
ボブの少女はそうはいかない。彼女が同性愛者かどうかは定かではない。しかし男と折り合いはつかない。彼女の物語に男は不要なのだ。だから食欲を満たし続ける。けれどその果てにあるものは?
ラストのショットは彼女たちが闇夜へ消え入るまで移動することだ。それは彼女たちが決して満たされない無限の移動を続けることを暗示してならない。しかし彼女たちは自分の足で歩いている。それは男という移動手段を必要としていない自立した姿とも言えるだろう。そうであるなら希望はあるし、折り合いがつけられる地点で停止すれば何も問題はないのだ。