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透明人間のhorahukiのレビュー・感想・評価

透明人間(2019年製作の映画)
4.4
真の透明人間は誰か?

流石のリーワネル。前作の『アップグレード』も前々作の『インシディアス序章』も既存の使い古された枠組みを再構築して「魅せる楽しさ」を意識した演出を取り入れることで方向転換させたものだったけれど、やはり本作も同様でワネル監督らしさ溢れる楽しい作品になっていた。

本作は『透明人間』のリブートと銘打たれてはいるものの、全くもって正統派ではない。完全に亜流。そもそも透明人間は「透明状態から元に戻ろうとする」こと、もっと言うと「なぜ戻るのが困難なのか」ということがキモなのであって、そこに重要な意図がある。その点、その要素を完全に排除した本作は非常に異質で、従来の『透明人間』とは似て非なるもの。

ヴァーホーヴェンの『インビジブル』も同様に元に戻ることの放棄へと舵を切っていた。そのことが悲観的な印象を透明人間に付与することになり、世間に対する諦めの感情を強く感じさせるものだった。

そして本作は『インビジブル』とも異なる。本作がユニークなのは、もちろん透明人間の新たなビジュアルイメージもそうなのだけど、それ以上に透明人間にダブルミーニングを与えたこと。

透明人間とは誰なのか。ひとつは従来から大きく変わらない、キャラクターとしてそのまま描かれる透明人間。そしてもうひとつ。決して誰からも感知されることのない存在としての透明人間。こちらは勿論観客にすら感知させないよう(もちろん途中で感づく人はいると思うけれど)に仕込まれており、ラストシーンまで来て初めてその存在を薄らと朧げにだけ感知することになる。もしかしたら最後まで存在すら感知できない人もいるかも知れないくらいに朧げに。

本作は何を透明人間だと描いているのか。それは誰しもの心の奥底に隠されたまるで別人格とも思えるような内面のことであり、外側からは真の意味で理解することなどできるはずもない人間そのものの暗い闇。

だから本作に登場するメインキャラクターにはみんな裏側があるよう意識的に描かれている。ネタバレになるから全員には言及できないけれど、例えばジェームズとシドニー。セシリアのとある行動によってまるでそれまでとは別人のように瞬時に対応が切り替わるシーンがある。見ているときにはあまりに急激な豹変ぶりに違和感を覚えたのだけど、その違和感こそがワネル監督の罠であったのだなと見終わって初めて気づくことになった。彼らもずっと居座り続けるセシリアに対する感情を表には出さずに(観客にも)秘匿し続けていたのでしょう。そしてその秘匿された感情もまた透明人間なのだと本作は訴えかけている。

『アップグレード』の時もそうだったのだけど、演出そのものがメインテーマを語ってしまうという鮮やかなやり口はワネル監督の持ち味なのでしょう。まさか『透明人間』にまで持ち込んで、演出によって透明を描くとは思っていなかったので単純に驚いたし、既存の枠組みを自分の土俵に上げて相撲を取ることが異常にうまいのだと感じた。

そして機械に対するカッコ良さと嫌悪感という相反する感情を想起させるのは、便利さと怖さを描いた『アップグレード』と共通しているし、更に本作の場合には演出なり構図なりが50年代SFを思わせるクラシカルな雰囲気を漂わせているのも視覚的に楽しい。そして、30〜50年代のユニバーサル旧シリーズからは、これもネタバレになるから作品名は書けないけど3作目が一番近いように思う。グリフィン姓は使ってたけど。
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