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ブレードランナー 2049のumisodachiのネタバレレビュー・内容・結末

ブレードランナー 2049(2017年製作の映画)
4.2

このレビューはネタバレを含みます

35年の時を経て製作された『ブレードランナー』の続編。

労働源として開発された人造人間"レプリカント"。感情が芽生え人間に対してクーデターを起こそうとするレンプリカントを解任(抹殺)する特殊捜査官"ブレードランナー"デッカードのドラマを描いた『ブレードランナー』は、今なお熱狂的な人気を誇っているSF映画の金字塔だ。

レプリカントの女性レイチェルとデッカードの逃避行で終わる1作目は何パターンも編集し直され、版によって大きく印象が異なる作品となった。具体的には、<デッカードは人間なのかレプリカントなのか>という問題がファンたちの意見を大きく二分することになったのである。

私は「ファイナルカット版」というものを最初に観たので、<デッカード=レプリカント>という風にしか考えられなかったし、今回の続編『ブレードランナー 2049』を観てもそうとしか思えなかった。

しかし、続編『ブレードランナー2049』でも答えは明示されているわけではない。ぶっちゃけ、どっちでも説明がつくのだ。ただ、私はデッカードが人間では結局のところ整合性がとれないのでは?と考えている。まずは、この問題について思ったことを書き留めて。

★レイチェルの出産は奇跡なのか?

『ブレードランナー 2049』のストーリーの根幹を担っているレイチェルの出産。1作目でデッカードと共に逃亡したレイチェルは出産し、その際に死亡していたことが分かる。人間に対してクーデターを起こそうとしているレプリカントたちは、これを「奇跡」とし、生まれた子供を巧妙に匿っている。

しかし同時に、レイチェルの妊娠はあらかじめ想定されていたものである可能性も示唆される。生殖能力のあるレプリカントの製造をもくろんでいるウォレス社の社長は、Kがレイチェルのデータを照合しにきたことを受け、手下のレプリカントであるラヴにKを見張らせる。ということは、ウォレスはレイチェルこそが<出産した可能性のあるレプリカント>だということをあらかじめ知っていたということになるのではないだろうか?

★ウォレスとタイレルの共通点は?

1作目で殺害されたタイレル社の社長は、目を潰されていた。『ブレードランナー 2049』でレプリカントの創造主となっているウォレスは盲目だ。私には、このことが偶然だとは思えない。ウォレスはタイレルの継承者として描かれているし、なんなら<ウォレスはタイレルの記憶を継承したレプリカント>だと考えることだって可能だ。(タイレルがいざというときには自分の記憶の保存・継承を考えていたとしても、何ら不思議はない)

そして、タイレルがレイチェルを生殖能力を持つレプリカントとして製造したのであれば、相手となるデッカードもまたレプリカントでないと筋が通りにくくなる。というのも、レイチェルの相手が人間でいいのであれば、デッカードとの出会いを待つ必要などなかったのでは?と思うからだ。ウォレスがいうように、デッカードもまた、【レプリカントの生殖】のために作られたのではないのか?

★レプリカントの設定上、解釈はなんでもあり?

レプリカントが機械ではなくDNA操作によって生み出された有機体であること、記憶を自由に植え付けることができるということをもってすると、どのような仮定も成立してしまうのが『ブレードランナー』のポイントだろう。

デッカードの【リタイアした元ブレードランナーと】という登場時のバックボーンすら、植え付けられたニセの記憶だとすれば、設定も矛盾しない。

また、レプリカントの寿命が4年という問題にしても、解任されるレプリカントよりもブレードランナーの方が新型という法則に従えば、ネクサス6型を解任するデッカードはネクサス7型であり、4年という制限はない(そして加齢する)という説明ができてしまう。もはや何でもあり。レプリカントの定義を使って矛盾を暴くのは不可能だ。

★究極のテーマは、人間を人間たらしめているものはなにか?

結局のところ、人間を人間たらしめ、レプリカントをレプリカントたらしめているものは何なのか?果たしてそんなものはあるのか?という根本的な問いかけがある以上、デッカードは人間なのか?レプリカントなのか?という問題は曖昧になったままにはなるのだが、「デッカードはレプリカント」だとした方が、タイレルおよびウォレスの行動の説明がつきやすくなると思う。

また、レジスタンス運動を起こそうとしているレプリカントたちにとっても、<レプリカントだけの力で生まれた命>の方がより意味があるのは明白だろう。やはり、私はデッカード=レプリカント説を押したい。

自分を人間だと思い込んでいるレプリカント=デッカードが、そんな自分の存在に対して疑問を持っていく物語だった1作目に対して、『ブレードランナー 2049』は自分はただのレプリカントなのか?という疑問が芽生え、どんどん人間らしくなっていくKの物語だと言えるだろう。そういう意味で、Kはデッカードというよりはロイ・バッティに対応したキャラだといえるかもしれない。

また、『ブレードランナー2049』を観ていると【処女懐胎】というテーマがチラつく。

レプリカントであるレイチェルの妊娠・出産を《奇跡》とすることに加えて、ウォレスの手下であるラヴを大天使ガブリエルと重ねたような描写・セリフも目立つ。

レイチェルはセックスした上での出産なので【処女懐胎】ではないし、ラヴがそれを告知したわけでもないので厳密には経緯そのものが異なるのだが、レプリカントにとってレイチェルの出産と生まれた子が大きな意味を持ち、救世主として崇められているというイメージは、神の子イエスの誕生と重なる。

ラヴ(とウォレス)の苛立ちと焦りは、自分たちが支配すべきレプリカントの受胎・出産という行程が未知の場所で行われてしまったことに起因しており、なんとしても産まれた子を手中におさめたいと躍起になっている。

いってしまえばウォレスは天地創造の神になりたいわけで、自分(というか元々はタイレス)の手で作りだしたレプリカントたちに新たな命を誕生させ、さらに彼らを支配下に置くという野望を持っている。

ウォレスにとっても、レプリカント・レジスタンスたちにとっても【レプリカントによる出産】は肯定すべきものであり、その点について両者は対立しない。では、なにが対立を生んでいるのかといえば、"すべてを支配し掌握する存在でいたい"というウォレスの大いなる野望だけなのである。

『ブレードランナー 2049』において、純粋な人間と言い切れるのはジョシのみ。ウォレスも設定上は人間なのだが、私はウォレスがタイレスの記憶を引き継いだレプリカントかもしれないと思っている。(また、私は一貫してデッカード=レプリカント派)

"レプリカントは人間に絶対服従し、決して嘘はつかない"。ジョシが信じて疑わないこの認識は、Kによって(そしてラヴによって)裏切られる。もはや、人間とレプリカントを隔てるものは【絶対服従】でしかなかったのに。

人間とレプリカントを区別するものは何なのか?レプリカントは、人間ではないのか?人間とは何なのか?

『ブレードランナー』の世界のど真中を貫くこのテーマは、『ブレードランナー 2049』によって更に拡大した。そして、ウォレスすら人間なのかレプリカントなのかわからない状況で、そこには【支配する者】【支配される者】という対立構造しかないということが明らかになった。

"奇跡"をきっかけに生命を支配し、天地創造の神になろうとするウォレス。【支配される者】から脱しようと"奇跡"を武器に反旗を翻すレプリカントたち。

生命の神秘を巡って神の領域に及ぶほどの闘いに突入する彼らの姿は、人間VSレプリカントという構図を超え、共にバベルの塔を造り上げているかのようでもある。果たして、その先に待つのはやはり崩壊なのだろうか?

続編が作られることを切に願う。
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