Adachi

ありがとう、トニ・エルドマンのAdachiのレビュー・感想・評価

4.2
冒頭、元小学校の音楽教師である父親ヴィンフリートの暮らす家へ男の子がピアノのレッスンを止める旨を伝えに来るのですが、その理由は「練習する時間が無いから」という。確かに自宅で練習しないんじゃピアノを習う意味が無い。でもそれって事実だけどやたらと辛い。

コンサルタント会社で働くイネスの「お得意様」夫婦は、明らかにギブ&テイクで成立している。同席した男達は「嫁がいないうちに夜を楽しもう」。これって全くもって嫌になるところだけど、彼女はそういう顔は見せない。僕にも観客にも一切そんな顔は見せない。
それはきっと彼女の感覚が麻痺しているからで、父親に向かって「楽しいよ、ヨーロッパで一番大きなモールだから」と言う時の全然楽しそうではない口調と表情で分かる。

そして終盤ヴィンフリートは自分で出来ないちょっとしたことをホテルのフロント係の女性にしてもらう。相手は一言「大丈夫ですか?」。その位のことなら誰でも出来るから、皆がそんな時を与え合って生きていければいいけれど、そうもいかない。そのうち「信じていた場所が居心地悪くなっ」てしまったら、それよりもっと、強い何かが必要だ。

オープニングに父親がドアを開けてすることと、終盤に娘がやはりドアを開けてすることは「同じ」であり、それまでどこか散り散りだった劇場の場内の空気が、あのパーティで一気に緩んだように感じられたのが面白かった。それこそまさに、作中のイネスがしてることによる効果だから。

この映画では「装う」こと、身支度をすることが大きな意味を持っていますが、彼女が作中最も解放されている場面は積み重ねたカタルシスが解放していたかのようだった。
普段、邪険に扱っているであろう職場の後輩や、または親に少しだけ優しくしようと思い今晩後輩を飲みに誘ったわけですが、「嫁がご飯を作ってくれているので、またの機会に!(爽やか笑顔)」と断られ、今日も独りで晩酌だ、バカヤロウ、トニ・エルドマン......。
Adachi

Adachi