140字プロレス鶴見辰吾ジラ

ハン・ソロ/スター・ウォーズ・ストーリーの140字プロレス鶴見辰吾ジラのレビュー・感想・評価

3.7
”ソロ…も悪くない”

「STARWARS」という物語は強大な帝国の進撃を反乱軍が迎え撃つということに、反権力への憧れや、古来の人権である抵抗の代弁を行った、アメリカという独立して生まれた国家ならではのコンテンツだったが、今や強大なディズニー帝国の傘下となり、毎年シリーズが新作だったりスピンオフだったり、何の抵抗のないまま主人に仕え、貢ために生み出される構図に何か居心地の悪い感覚を覚える。考えてみれば秋元康がブルーハーツを復活させ、作詞作曲を手掛け、したり顔で音楽番組でエンターテイメントの熱弁を振るっているような居心地の悪さだ。しかしながら現在の「STARWARS」シリーズはクリエイターという抵抗権をもった反乱軍がディズニー帝国に立ち向かうような新たな希望の見出しがあってもいいと思う。「ラストジェダイ」でライアン・ジョンソンが賛否の嵐を起こしたように、今作も「レゴ・ムービー」のフィル・ロード&クリストファー・ミラーのコンビが悉く帝国デストロイヤーとして暴れてくれるのを願ったが、ロン・ハワードという巨匠が出てきて、安定して面白さはあったが、そこに抵抗がなかったように感じた。

たしかにソロとチューイの出会い、ミレニアムファルコンの操縦桿を握りシーン、「I have a good feeling about this」の言い回しような青い春のセリフや行動の数々に、抑制されながら牽制球をなげてくるジェフ・ウィリアムズのスコアに目を潤ませてしまう場面もあるのは紛れもなく真実だった。銀河一のパイロットを夢に見た無鉄砲な青年とその周囲の人物とのかかわりによって知っていく甘い部分と苦い部分と友情と裏切りと喪失と旅立ちは、物語上の救済と非救済のバランスを程よくとりながら、せわしないアクションに青春劇と西部劇の単純な格好良いというスタイリングに目をくらまされる。

むしろ現在の「STARWARS」コンテンツは、そのブランド力を借りたアクション映画の場なのではないかと思う。冒頭のカーチェイスシーンのレトロSFガジェットとアウトロー時代への追憶を想起させる曇り空の下の逃避行は、「StARWARS」というよりマフィアモノのアクション映画のようだった。敢えてダサいが格好良い、ダサ格好良いラインどりをするにはリスキーなこのご時世に「STARWARS」の皮を被ったアクション映画として西部劇の持ち込みやあの頃の青春回帰の如き、アクション映画自体の青春性を狙っているのではと思ってしまった。これなら虎視眈眈たる反乱行為であればいいのだが…

邦画業界においても、それを可能にすると思うのは「劇場版 名探偵コナン」シリーズである。静野監督からの交代後、今年のコナンの大人なテイストと、法廷システムの説明、「君の名は。」への悔しさをバネにしたような抵抗も含め、そのブランドの皮を被った新たなるクリエイションの可能性を見た。プラダを着た悪魔ではないが、帝国軍の衣装をまとったカウボーイがいてもいいのではないかと思う。

ライアン・クーグラーは「ロッキー」シリーズの時計の針を進めたわけだが、今後「STARWARS」を支配下においたディズニー帝国と対するクリエイターが救世主となることが、メタ的な意味で”新たなる希望”となるのだと想い、オールデン・エンエアラインの表現したハン・ソロの影に少しばかりは希望を抱き、そして「ローグ・ワン」でもあった戦場シーンの”戦争”の描き方や、権利主張をするL3というレトロな出で立ちにして、内面にあるエロスさえ感じさせたロボットの躍動に何か奇妙なテンションのうねりを感じながら、夜空を見上げ何かを見ようとしている私がいた。

追記)「ローグ・ワン」との違いは、「STARWARS」世界での戦場のリアルを描いた地に足ついたものであったからということと、登場人物たちに歴史上で明らかになっている死のリミットがあったことによって、彼らの存在意義を強調していたからだと思う。



<ここで鶴見辰吾ジラの上半期トップ10>
・「スリー・ビルボード」
・「孤狼の血」
・「万引き家族」
・「リメンバー・ミー」
・「リズと青い鳥」
・「犬ヶ島」
・「タクシー運転手 約束は海を越えて」
・「デッドプール2」
・「リビング・ザ・ゲーム」
・「聖なる鹿殺し」
※今後順位変動あり。