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聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディアのkuuのレビュー・感想・評価

3.9
『聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディア』
原題 The Killing of a Sacred Deer
映倫区分 PG12
製作年 2017年。上映時間 121分。
ギリシャの鬼才ヨルゴス・ランティモス監督が、幸せな家庭が1人の少年を迎え入れたことで崩壊していく様子を描き、第70回カンヌ国際映画祭で脚本賞を受賞したサスペンススリラー。
イギリス・アイルランド合作。
ある理由から少年に追い詰められていく主人公スティーブンを『ロブスター』でもランティモス監督と組んだコリン・ファレル、スティーブンの妻をニコール・キッドマン、謎の少年マーティンをバリー・コーガンがそれぞれ演じる。

郊外の豪邸で暮らす心臓外科医スティーブンは、美しい妻や可愛い子どもたちに囲まれ順風満帆な人生を歩んでいるように見えた。
しかし謎の少年マーティンを自宅に招き入れたことをきっかけに、子どもたちが突然歩けなくなったり目から血を流したりと、奇妙な出来事が続発する。やがてスティーブンは、容赦ない選択を迫られ……。

冒頭から、この映画がどの方向に進んでいくのか、映画『哀れなるものたち』同様に把握することは事実上不可能でした。
建築物、スイープな追跡ショット、不協和音の音楽は、メトロノミックな台詞やほとんどロボットのような演技と同様、観た方の多くがバランスを崩すこと間違いない。
今回はおとぎ話ではなく、本格的な悪夢の中にいる。
外科医コリン・ファレルと不機嫌な16歳の少年との曖昧な友情は予想する方向ではなく、もっと暗く危険な道へと進んでいく。
ファレルの演技は巧みだが、最終的にこの映画は、彼の堅物な妻を演じたニコール・キッドマンと、彼の宿敵を演じたバリー・コーガンに軍配が上がるかな。
今作品は、最も直感的な映画で、失われたもの、復讐、反発をテーマにしたストーリーにとどまらず、ランティモスをユニークで攻撃的な存在にしている。
それは、詩的で残虐な寓話を語る彼の力でした。
彼の作品には得てしてそうしており、今作品でもそれを裏打ちしている。
嘘、正義、赦し、辛い感情に関する独特の断章で飾られた、麻酔なしの危険なアイデアと視点は、この種の映画的アプローチを仰々しく野心的で恥ずべき覗き見主義的だと評する多くの保守的な映画ファンの傷口に塩を塗るようなものです。 
シニカルな背景としてキーキーと響く、無修正のフルカラー開胸手術が映し出され(このシーンはコリン・ファレルが立ち会った、四重バイパス手術を受ける実際の患者の手術中に撮影されたものだそうだ)、完璧な幕開けとなる。
同時に、彼女は眼科医、彼は心臓外科医という、成功しているが軽薄な2人のアメリカ人医師の完璧な人生に降りかかる、神秘的な退化の地獄のスパイラルへと、登場人物とともに徐々に沈めていく困難な旅が始まる。
医学界(医療)をこれほど不吉な視点から探求し、好奇心旺盛な人々の目を惹きつけてやまない映画作家はほとんどいない。
もし、小生のようなただの凡人が、自発的にせよ非自発的にせよ、他人の命を救うミスを犯したらどうなるやろか?
なんてジレンマの上に物語を設定してる。
より現実的な文脈では、この種の事件が政府の正義の手から直接、被害を受けた人自身の正義に向かうという選択肢は少ないが、だからこそ、彼の映画は魅力的なんやろな。
ストーリーは、心理的で、魅惑的で、超自然的な空気の上を完全に逸脱している。
スクリーンに映し出されるものすべてが、彼らが云いたいことの全てではないことをさりげなく示唆するのは、観客のための道具であり、観客は自ら、登場人物の口から出るセリフのひとつひとつ、決断のひとつひとつ、注意散漫のひとつひとつを疑いながら、絵と絵のつながりを素早く、しかしずっと深く研究し始めなければならない。
今作品は、悪い意味でも良い意味でもクレイジーで、象徴的で臓腑に響く脚本のひとつであり、唖然とする。
監督が常連の共同脚本家エフティミス・フィリッポウとともに書いた脚本は圧倒的でした。
冒頭のシーンから、まるで制御不能な獣のように、徐々に強さと好戦性を増し、無味乾燥なドラマになりかねないものを食い尽くす、擦り切れるような多彩なインクレッシェンド・トリップの予兆がある。
こう云うことがあるから、一体何が起こったのかわからない物語がより面白くなる。
必ずしもR指定のシーンや勇気ある筋書きの展開についてではなく、作家が好むと好まざるとにかかわらず虚構のゲームについて没頭させる。
緊張感と不快感の見事な段階的な高まりを忘れてはならないかな。
実際、物語は効率的なひねりや適切な瞬間に配置された巧妙な動きで構成されているのではなく、物語そのものが非常識な大どんでん返しなんやから。
巧みなの演技、無味乾燥な撮影技術、魅惑的なサウンドトラック、そして技術的、芸術的、物語的な無限のサポートが、今作品を、ほんのわずかなものではあるが、個人的には最高の作品のひとつにしているかな。
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