ま2だ

聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディアのま2だのレビュー・感想・評価

4.5
聖なる鹿殺し、観賞。

たっぷりとした距離と空間、時間を効果的に利用して、スリルや恐怖のイントロダクションとしている。観客の注意力を惹きつけるボリュームやサイズの設定も細やかで、画面からは終始不穏な美しさが立ち昇る。

社会の最小単位である家族の崩壊を通して人間の信仰の在り方を問うというスタイルは、同じく全編で邪悪な美しさを放っていた昨年の傑作、ウィッチを想起させる。黒のウィッチに対して白の鹿殺し。

共に医師である夫と妻が、家族を襲う呪いに根拠を強く求めるがゆえに、ロジカルではない結論にすがらざるを得なくなる皮肉な構造や、幼い息子からその母である妻にいたるまで、家族のエゴが少しずつ差し出され、ついには夫のグルグルバットに至る展開はきわめて厭味に満ちたものだ。

面白いのは俳優陣の硬直気味の演技もさることながら、夫を除く家族が、劇中では知り得ないはずの呪いのルールをメタ的に口にするなど、観客と共犯関係になって夫を最悪のチョイスに向けて追い詰めていく演劇的効果が企まれている点で、これはまるで被害者が加害者を操る逆洗脳殺人ではないかという気にもさせられる。

不条理な現象に翻弄された家族の物語は、いわゆるバッドエンドに分類される幕切れだが、一方でフェアネスと等価を巡る展開にはきっちり落とし前をつけているため、ひどい気分だがなんだかスッキリ、という複雑な後味に仕上がっているのも特徴的。ヨルゴス・ランティモス作品らしい一筋縄ではいかない脚本だ。

俳優陣では、コリン・ファレルやニコール・キッドマンを圧倒する存在感の新鋭バリー・コーガンが光る。彼なしでは映画のスリルは大きく異なるものになっていたはずで、これから引っ張りだこになるのではないか。キッドマンはここ数年、意欲的な出演作のチョイスを続けているが、そこには家族や共同体という共通のキーワードがあるようにも思えた。
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