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妖怪百物語のMOCOのレビュー・感想・評価

妖怪百物語(1968年製作の映画)
3.0
「おい、鯉はまだか」
「只今。
 あなた、この鯉何処で釣ってきたのです」
「何故だ」
「鯉の血が洗っても洗っても」
「落ちないのですか」
「馬鹿な、よく洗ってみろ」


 百話の怪談話をひとつ終わる毎に灯した百本のろうそくを一つずつ消していき最後のろうそくを消したあと、妖怪が現れないように行う「憑き物落し」を怠った事で災いを招いてしまうお話です。

 日本の怪談話はヒュードロドローなんて擬音が似合っていて「番町皿屋敷」「四谷怪談」はその代表。幼いときに夏のテレビでよく観ていました。

 マンガ文化がどんな形で始まり書店にマンガコーナーが確立したかは覚えていないのですが、床屋の待ち時間で読んだ「さいとうたかを」さんの探偵劇画や「水木しげる」さんの妖怪漫画が単行本漫画(貸本)との出合いでした。お二人の作品は強烈な印象があり、特に「水木しげる」さんの独特な画風・魔法円・召喚魔術の言葉には不思議な魅力がありました。「墓場鬼太郎」「河童の三平」「悪魔くん」を読んだのは床屋の待合スペースの長椅子でした。
「エロイムエッサイム、我は求め訴えたり」「アバラチャーノ モゲター」なんて呪文にワクワクしたものでした。

 1968年テレビ放送で「ゲゲゲの鬼太郎」のシロクロ放送が始まり妖怪ブームが起こったことから時代の流れに逆行した時代劇映画が製作され、これが子供たちに大ウケしてシリーズになった第一作がこの「妖怪百物語」、この映画もヒュードロドローが似合っています。

 テレビゲームがなかった昔は、正月にボードゲーム(双六)をやるくらいで、普段は外で遊ぶのが普通でした。近所には川が流れ上流に池があって、学校から帰ると川にザリガニ採り、土曜日曜日は釣竿片手に池に出掛けていた私にとって、百物語の最後に語られる殺生禁止の池で、池の鯉を釣ってしまい「置いていけー」と言われる話は驚異でした。釣った魚をバケツに入れての帰り道で、夕立にあって怖くて走って帰ったことも何度かあります。

 障子文化の頃に障子に映るろくろ首や傘お化けの影はとても怖かった思い出があるのですが、ガメラ映画の併映でしたからお化け嫌いの人や、男兄弟に付き合わされた女の子はとんでもない映画を観る羽目になった訳です。


 寺社奉行の堀田豊前守や町の権力者を利用して、貧しくもつつましく暮らす人々の長屋を取り壊し岡場所(女郎屋のあつまり)を作ろうとする但馬屋利右衛門は、豊前守らを招いて余興として百物語の会を催すのですが、迷信と決めつけ憑き物落としの代わりに袖の下(ワイロ)を配り招待者を帰します。
 利右衛門は長屋の取り壊し中止を求め借金の三十両を返しに来た長屋の持ち主甚兵衛を殺害し手始めに長屋にある古い社を壊し始めると、早速のっぺらぼうが現れ手代の重助は店に逃げ帰り利右衛門と共に長屋に戻ろうとする道で再び妖怪が現われます。利右衛門は狂乱して刀を振り回し重助を刺し殺し、利右衛門も重助の短刀で命を落とします。
 その頃、堀田豊前守屋敷には利右衛門と重助が現れ、豊前守は妖怪の群れに取り巻かれ、正気を失い家来を殺します。そこに豊前守の不正を隠密で探っていた長屋に住んでいた浪人が現れ、正気に戻った奉行は自ら腹を切り悪事を働いた者達はいなくなり長屋が守られて話はおわります。

 シリーズを通して話の終わりで妖怪達が楽しげに行列を組んで夜明け前のこの世から消えていくシーンが二重撮影を使ったスローモーションで何故だか印象に残っています。
 1966年の「怪竜大決戦」からわずか2年後二重撮影の技術の進化に驚かされます。

 妖怪の出来映えも良くあの頃のスコアならきっと5.0の思い出の映画です。
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