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打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?のneroのレビュー・感想・評価

1.5
岩井俊二のTV版も映画版も未見、シャフトと新房昭之の名前のみで観に行ったが… なんだろうこれは? やたらと間延びしたアニメだった。
総監督:新房昭之のクレジットの時点で嫌な予感したんだが、名前のみクレジットってやつかね。45分から60分もあれば充分な内容だろうし、新房→シャフトラインならもっとテンポもメリハリもよく仕上がっている筈だろう。 
情景レイアウトのみに囚われていると言ってもいいかもしれない。監督が自己撞着から抜け出せず、もう一歩客観視出来ていないためか、キャラクターがみな平面的になってしまっている印象だ。特になずなの行動原理であるはずの母がつまらない。

なにより、これってアニメで作る意味あったのかなあ? 確かに幻想表現=異世界表現はそれなりにアニメによる描写を活かしてはいるが、これは思春期少女のゆらめきの物語だろう? なずなの思いや葛藤まですべて絵で表現するには、あまりにも心理表現が微妙すぎると思う。やたらとなずなの表情アップ描写を入れるのもそれを補うためなのだろうが、実際はくどいだけ。(マツダセイコもね)
あの”玉”による”世界線移動”(の妄想)も、本来はなずなの潜在意思によるもので、典道はそれに感応しただけってところじゃないのか? 映画の展開では典道が”IF”世界への渇望を持つような強烈な動機づけは感じられませんケド。

なずなのコケティッシュな艶っぽさは魅力的だし、広瀬すずは上手いと思う。自身の”女”を自覚し嫌悪し始めた女子中学生という微妙なところを充分表現できていた。一方の典道、ついこないだまで小学生だった”幼いくせに背伸びしたがる”男子中学生ってそうじゃないだろう! 演じる菅田将暉の”何も感じてない感”には、なずなとのギャップが大きすぎてややげんなり。ついでにクラスメートからも中1感はあまり感じられなかったねえ。いっそ中学少年の群像劇にせず、なずなの家出だけに絞ったほうが良かったんじゃないか?

確かに、中学1年の夏というのは、少女と少年にとって違う意味を持つひとときかもしれない。岩井俊二が小学生に設定したのは、おそらく”変態し羽化してゆく少女”そのものを描きたかったんじゃないだろうか? 14歳の奥菜恵主演というオリジナル版を見てみようと思う。
全く違う感想になるかもしれない。
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